鞆の浦歩きの続きです。
予定が定まらないまま、とりあえず、鞆の浦の見どころとされているところを見ようと、次なる目的地に向かった。
保命酒についての展示がある建物や、保命酒屋さんも気になったが、仙酔島にも行く予定あるし・・・仙酔島では、16時までに受け付けすれば入れる変わったお風呂めぐりが楽しめるところもあるようなので、それに間に合うようには・・・と考えると、喫茶店でゆっくりする時間もなさそうだった。
人のいなさがちょうどいいのだが、コロナ関係ない時は、もうちょっといるのかなぁ?
いくつかある保命酒の店の前を通った。
福山場内にあったものを船で運んだ?
すっごい雰囲気ある・・・が、こういうのが鞆の浦に他にもいくつかある。
この店のサイトは↓
保命酒のサイトの説明によると、
大阪の漢方医だった中村家の子息、中村吉兵衛氏は、鎖国中だった頃、長崎まで中国産の薬草を買い付けに行っていた。その薬草を持って、船で帰り中、潮待ち港である鞆の浦に寄った際に、既に鞆の浦で完成していた吉備の旨酒(味醂酒のようなもの)に出会い、それに持っていた薬草を付けたことでできたのが、保命酒の始まりだったそう。1659年のこと。
麹の酵素によるうまみと甘味が素晴らしい、美味しい味醂づくりあって、保命酒ができるので、まず、味醂づくりにものすごく力入れている。
360年の歴史ある保命酒は、歴史上の人物にも飲まれ、石見銀山でも活力源として重宝されてた模様(上のリンク先に書いてある。)
養命酒と似た系とされているが、自分には養命酒よりずっと飲みやすく、この写真の店と違うところで試飲したときには、アイスティーで割ってあったのも飲んだのだが、美味しくて、元気が出る!という感じのするものだった。
どういう人が飲んだかは↓参照。
あちこち、足を止めたくなるものがある。
可愛らしい古い建物が、ごく自然にあちこちにある。
わかりにくい地図を見ながら、こっちかなーと歩いて行くと、門のところに象がいたり、
覗きこむと、花が静かに周りを満たしていたり、
塀の上に綺麗な猫が座っていたり。
ちょっとずつ登った位置から海側を見ると、10年近く前に広島に来た時のことを思い出した。
穏やかな、暑すぎない夏の終わり。
母と、宮島へ渡る港から割と近いところの丘の中腹に住んでいた、父の友人の家に行った。
父は亡くなって、もうだいぶたっていたが、父の親友がガンになったという連絡をもらっていたので、お見舞いに行ったのだった。
ご家族で住むその家に行き、まだ普通に生活できていた父の友人が出してくれた、アナゴ弁当を食べ、美味しい果物をいただき、広島ってなんて美味しいものばかりあるんだろうって(後で母が言うには、その人は、特に美味しいもの好きだから、いいもの選んで出してくれてるのよ、と)、食べてるその時に感動。
生まれて初めて食べたアナゴの炭火焼香るお弁当に、お見舞いに訪れたというのに、がっついて、悲しい雰囲気になる前に、さよならをした。
お家から出て、目の前に広がる、穏やかな瀬戸内海・・・
これから先、どのように進んでいくのか・・・病、苦しまれないよう、本人も家族もなるべく穏やかに過ごしていけますようにと願うことしかできない。
しばらく後、亡くなった知らせが来た。
亡くなってからも数年は、それまでそうだったように、毎年、季節が来ると、生のままで食べるには追い付かない、美味しい生牡蠣が実家に送られてきた。
父の親友が、父が生きていた時も亡くなってからも毎年送ってくれていたのだが、その人が亡くなった後、ご家族が送ってくれていたのだった。
父がいて、自分も実家にいた時は、生で食べきれない分は、母がカキフライにしてくれていたが、そのころは、もう、母が一人でそんなに食べれないし、
ありがたいけれど、と、送っていただくのはもう大丈夫ですよと伝えて、
毎年牡蠣が実家にやってくる、というのは終わった。
それ以降、自分ももう、思う存分牡蠣を食べるなんてことは無くなったが、食べきれないくらいの美味しい牡蠣をいっぱい食べさせてもらったよな~という思い出は、無くならない。
(続く)