尾道旅行の続きです。
春の広島旅行二泊目に泊ったあなごのねどこでは、自分の感覚の変化を感じた。
こういうところには、二十歳前後ぐらいでいくつも泊って欲しい。できれば、だが。
自分が二十歳前後のころは、安めの宿と言えば、ユースホステルなどで、ユースホステル協会で会員になって、会員証を作ったり、現地で会員証作ったり。
でも、意外とそんなに安くなくて、今は、ゲストハウスで工夫されたところがいっぱいあって、値段も予約サイトのセールを使ったら、驚くほど安い。
ユースホステル時代は意識したことなかったが、今どきのゲストハウスは、シーツを自分でしき、掛布団の下にも1枚布を広げ、その上に掛布団をかけて、自分はシーツと、その布の間に入るっていうスタイルがわりとある。
くるむタイプの掛布団カバーより簡単だし、おそらくその布はシーツと同じ布なので、共用できるのだろう。
狭いところで、わさわさとシーツをかけたり、もう一枚セッティングしたりという作業、人によっては嫌かも。自分の連れはかなり面倒がっていた。
連泊していたら、宿でくつろぐことを楽しんだり、置いてある本を読んだり、他の客としゃべってみたりもしたかもしれないが、今回は寝て、またすぐ移動だったので、寝るだけの場所となった。
ただ、手作り感覚の宿って、こだわりも強いので、ちょっと排他的なこともある。
こちらからかかわって行かない限りは。
特に日本で、そう感じる。
こだわり強いと、攻撃受けることもあるから、警戒心強くなるのか?
ここの宿が特にどうっていうのではなく、全般的な話。
さて、朝、周りの人に迷惑にならないように音に気を付けて、出かける準備をした。
連れが、朝シャワー浴びようと思ったら、時間帯的に使えなかったと言っていた。
普段のように何でもできるわけではない。旅行中は。
旅行最終日、荷物を預かってもらったままで観光するか、駅のロッカーに預けるか。
宿と駅の間のアーケードは、路面が多少がたごとするのもあって、そんなに素早く移動できない(自分はリュックだったが、連れはスーツケース。)。
慌てるのは嫌だなと思い、駅のロッカーに預けることにした。
荷物をロッカーに入れた後、船乗り場へ。
どの島に行こう・・・到着してから、車がないといい所行けないとか、サイクリングでないとっていう場所でなく、わりと歩いて回れるところに行きたかった。
ここはどうかなってところを船乗り場の人に聞いたら、そこはバスが少なすぎだからとか、そんなところ、イノシシしかいないとか、言われ、
ではどこがいいかと聞くと、生口島なら、歩いて観光名所行かれると、勧められた。
生口島は距離の割にはフェリー代も割高な気がして、本当は気が進まなかったのだった。
行きの船は、老夫婦と自分たちだけだった。
老夫婦って言っても、奥さん若々しい装いで、すごいラブラブ。
40分もかかる気がしなかったが、40分ほどで生口島に到着。
おそらくメイン商店街。まだ始まってない感じだった。
建物も、街も、人間とともに歳とって、同調しているというのか。
途中から小さな丘のような方に近づいていき、緩やかに上り坂上がっていく。
人いない~と思ったら、果樹園の柑橘を収穫しているお年寄りが見えた。
右の方の奥に、生口島の観光の中心とも言える?耕三寺が見える。
白い大理石が輝いていた。
坂を上っていくと、まず最初に目指していた建物が見えてきた。
三重塔を今年は結構いっぱい見ている。その割に、まだ、見るだけで、これはこうだからこう、みたいな知識はない。
山つつじ、ふわっとした花びら。色もどうしてこういう色になるんだろう。
自然のままでこんな色になるんだもんね。ほんと凄い。
三重塔の表側に行って写真撮ったが、なんかゆがんで見えるように映ってるな。
向上寺は1432年建立の曹洞宗の寺。
国宝の三重塔は高さ19メートル。和洋唐様混合様式で、国宝の三重塔の中で一番新しいものだそう。
色がかすれているとなんだか古くぼろく見えてしまったり、古い物でも、きれいすぎる修復で、違和感覚えたり・・・
渋い感じだからって古いとも限らず、もともとはすっごい派手派手だったっていうのもあるし。
修復も、日本は元の姿に近づけようとするが、タイなどでは前向きな修復というか、変化していく修復・・・過去の再現に完全にこだわってないようなのもあるそうだ。
日本の寺社仏閣は、説明読んでると、焼けてなくなって建て直してっていうのがいっぱいある。
一回ダメになったから終わり、じゃないところが、凄いよな。
ダメにならなくても、考えてみたら、維持し続けているのだって、凄い。
それも木造建築だし。