前記事の続きです。
別府と言えば、地獄めぐり!
子供のころ、テレビのニュースで血の池地獄を見て、いつか行きたいと思っていた。
少し前に友人が、地獄めぐりした話をしてくれて、
「あれ、地獄ごとにお金とるんだよ。パスポートみたいなセットのもあるけれど」と言っていたので、どういうことかと思った。
狭いところで遊園地のアトラクションみたいに、いちいち入場券いるのかなとか。
ところで、地獄めぐりの歴史について、海地獄公式サイトによると、
明治43年(1910年)に、宇都宮則綱(大分県議、衆議院議員)が初代千壽吉彦から海地獄を借りて、遊覧施設などを整えて、2銭の入場料を徴収したことが、本格的な観光としての地獄めぐりの始まりです。
しかしそのころはあんまり人来なくて。
大正12年に陸軍の大演習が行われることになった時に、当時の別府市議が猛烈に国に働きかけて、陸軍が通る道を作ってもらい、その後、その道路が地獄めぐりの循環道路になり、観光客もたくさん来るようになったそう。
別府の町で名前を見かけた油屋熊八は、昭和3年に日本で初のバスガイドと遊覧バスを発案して、バスガイド付きの地獄めぐり遊覧バスツアーを定着させた。
(公式サイト参照。)
そうなんだよね、いかに道路や線路を引っ張ってくるか・・・昔から今に続く、話ですよね。
地獄めぐりのエリアで最初に目に入った、かまど。
しかしそこはあとにして、まずは海地獄から。
結構人いる。
中に入ると、大きな池。ここは庭園も売りらしく、
大鬼蓮っていうのも名物。その日は微妙な感じだった(そんな大きいの見当たらず)。
サイトが凄い・・・
奥に進むと海地獄。
青い~~~なんか非現実的。
こういう入浴剤あるよなぁ。
お湯たっぷり。
サイトによると、温度は98度、泉脈までの深さ200メートル以上。酸性。
硫酸鉄を含んでいるため、このような色になるそう。
海地獄の敷地内には、新しくて大きい土産物屋もあり、地獄プリンとか、飲食コーナーもある。
ここでは、土産物見たり時間使おうと思えば結構使えるので、さっさと次へ移動した。
鬼石坊主地獄へ
ここのことは天平5年(733)頃の文献に登場するそうだが、田畑の間に泥土を湯玉がぶくぶく、みたいな感じでは作物も育たなくて、長く、地獄の地扱いだった模様。
しかし上に書いたように、地獄めぐりが人気になったおかげでここも見どころの一つに。
上と下の写真見比べてみてください(動画にまではしない)。
ぼこっ、ぼこっってなる様子が、坊主頭みたいだとかw
説明書きの看板もあった。
そういえば、ゼンリンって会社あるが、そこの本読んでた時に出てきた話。
もともとゼンリンって、別府の観光冊子につけた温泉巡りの地図が好評だったことから、あちこちに地図を作るの頼まれたところから始まり。
戦争中は、軍しか地図作れなかったから、平和な時代になったからこそ地図が作れる、隣に善くするって意味で、善隣(ゼンリン)。
観光旅行をできるってほんと、平和ならではなんだよね・・・
それにしても、この風景。
地獄めぐりとか、別府のイメージってこういうのではなかった。
妙に南国風だし、熱海とか伊豆っぽいっていうか。
かまど地獄に到着。
何でかまどなのかも、鬼なのかもよくわからない。
ご飯炊けるのかな・・・
公式サイトによると、泉温98℃の噴気で、古来より氏神の八幡竈門神社の大祭に、地獄の噴気で御供飯を炊いていた事が名前の由来
やはりそうか。といってもほんとかなw
しかし・・・これ、さっきの海地獄に似てるよね。
これちょっと、鬼石坊主地獄に似てるよね。
どこも100度にはいかないけれど、95~98度とかそこらあたりみたい。
これって血の池地獄っぽいよな。
日によって色が微妙に変わるらしい。
写真省略するが、マッチを片手にあちこち、温泉のガスが出てるところで発火させるエンターテイメントを披露するおじさんスタッフがいたり、プリンや温泉卵売ってたり、足湯あったり、なんかミニ遊園地っぽい地獄だった。
自動販売機にも宣伝。
なんかよくわからない地獄だったが考えてみたら、ここ見たら、3つ分カバーされるような。
次は、鬼山ワニ地獄。
鬼石とか鬼山とか、勝手につけたのかな。
最初に南国風の小屋っぽい建物の中で、ワニの剥製など見て、それからワニ見物。
信じられないくらい巨大な怪獣みたいなのとか、うようよひしめいてて、しかも見たら、腕が食いちぎられてるのとかいたり…70頭もいるらしいが、全然うまく写真撮れなかった。
柵がねーー。
しかし、逃げ出さないのかな。
ワニに石投げたり、傘で突くって!?
餌付けができるっていうのでも知られてるらしいが、コロナで中止っぽかった。
今はどうだかわからないが。
別府のこの自由な発想・・・観光地ってどういうのっていう見本があんまりない時代に考えたからですかね。
それにしてもさすが別府。温泉まみれ。
だんだん地獄に飽きてきた人・・・ちょっと休憩。
1276年に一遍上人によって創設されたという(ほんとか?一遍上人登場しすぎ)
鉄輪むし湯。
建物の中、男女別にまず分かれていて、木の扉がついた、天井の低い8畳ほどの石室があり、その中には、石菖という草が敷いてある。
草の敷いてある、蒸し風呂。
身体を予洗いしてから専用の浴用着を着て、その石室の中に横たわる。10分くらいだったかな、係の人が声かけてくれて、出て、お湯のある方で体を流す。湯船もある。
これがーーーーー驚いた。
10分横たわるだけなのに、凄いデトックス効果?!
めっちゃ汗かくわけでもないのだが、ものすごくすっきりした。
身体かる~いって。
その石菖という草、
四国や九州など、採れるところは割とあるのかな。しかしきれいな水のところでないとなさそうだ。
わかりやすいサイトあった。↓
さて、すっきりしたところで、お昼を食べることにした。
せっかくなので地獄蒸し。
食べ物の組み合わせセットを注文して、それをかごに入れて、蒸す。
天然蒸し機というわけだ。
キノコとか海鮮とかいろいろ選べる。
それに醤油だとかポン酢だとか好きなものを付けて食べる。
再び地獄めぐりへ。
どこも、入り口で差をつけようとしているようだ。
落ち着いた雰囲気の和風庭園にある池は、青みを帯びた白色をしている。これは、噴出時は透明な湯が、池に落ちた際、温度と圧力の低下により青白く変化するためである。
↑公式サイトより。
やはり、庭や美術品について主張したいらしい。
ここの温泉は、硫酸でなく、含ホウ酸食塩泉 塩化ナトリウム、ケイ酸、重炭酸カルシウムとあった。
そして、公式サイト見てもわかるように、熱帯魚館がある。ピラルクとかピラニア飼ってる。
確かに、他のブルー系のところより白っぽい。
白っぽいのはインパクトには欠ける。
そして次にお待ちかねの血の池地獄。
この、怪談チックな始まりの、サイトページのイメージを持ってきたが、
実際には・・・
・・・割と雰囲気出てます?
酸化鉄、酸化マグネシウム等を含んだ赤い熱泥が地層から噴出して溜まって、こんな色になっているらしい。
酸性緑礬泉という泉質。
420坪の面積で、約1800kl./1日だって。
血っていうよりトマトジュースっぽかった。
土産コーナーがここも充実していた。
そして次は、竜巻地獄。
間欠泉なので、周期的に噴き出すのを待ち構える。
割とタイミングよくいけて、すぐ見れた。
舞台を囲むように、みんな、じーーっとそっちを向いて待ち構えているのだった。
屋根がなかったら30メートル噴き上げるらしい。
地獄めぐり終了。
別府を見下ろす良い風景の場所も、知れ渡っていて、観光客が続々やってきていた。
最後に明礬温泉に寄って、
入りはしないが、硫黄のにおいが染みつかない程度に見学した。
この説明、明礬の由来になってない気がする・・・・すでに明礬製造の話から始まるしw
湯の花から明礬つくりましたよっていう展示なわけですね。
それにしてもアンモニア臭、写真からは感じられないね。
・・・・地獄めぐり話、さらっとまとめたかったのに凄い長くなってしまった。
読んでくださりありがとうございます!