続きです。
天理市にある、石上神宮に行ったのだが、
これまた読めない。石上神宮(いそのかみじんぐう)。
大神神社(おおみわじんじゃ)とともに、簡単な字なのに読めない、読み方忘れる。
それはともかく、初めての天理市に、自分は驚きまくった。
途中人は全く見かけなかったのだが、共産主義の巨大建築みたいな建物に、和風の屋根を装飾的につけたような建物がばらばらとあり、建物には番号がでかでかと書いてあったり、「ようこそ おかえり」と建物の前面に大きく書いてあったり・・・!
天理市の写真を全然撮ってなかったが、他の人のブログに載ってました。
天理市のサイトや、観光ページでは町並みはよくわからない。
これまた動くトップページだ・・・奈良で流行ってるのかな?!
それにしても天理市、古墳多い模様。
目的地の石上神宮。
最初に鶏がお出迎え。
たくさんいて、コケコッコー鳴きまくってる。
常世の長鳴き鶏を鳴かせて闇を払って夜明けを告げ、天岩戸を開いたという神話から、鶏は神道と関係深い吉祥の霊長とされた
と、ある。鳥居の語源の説も書いてあった。
石上神宮には現在30羽くらいいて、天然記念物の烏骨鶏や、東天紅(とうてんこう。高知の鶏)もいるらしい。
先に進むと、すぐ、楼門(ろうもん)。重要文化財。
雨降ってました。
この楼門は、後醍醐天皇の時代のもので、1318年建立。
明治の神仏分離令の時に、上層にあった鐘は外され売却されたそう。
木額の「萬古猶新(ばんこゆうしん)」(50mmで撮ったがギリギリ入ったw)
は山縣有朋の筆によるものだと、サイトに書いてある。
楼門をくぐり抜けると、拝殿。
白河天皇が、宮中にあった建物を寄進したらしい。1081年。
鎌倉時代初期の様式で、拝殿としては日本最古のもの。国宝。
・・・これは今、公式サイト読んで知った。
その日は嫌な感じの雨降りで、足元悪く、周りはじめっと薄暗く、鶏の鳴き声が響きまくっている・・・さっさと見てさっさと行こうっていう気分でw
そうか、そんな凄い建物だったのか・・・
よく見てなかったw
写真中央の緑の縦長の布と似たデザイン、というか、ここにある国宝の七支刀(しちしとう)デザインのお守りは起死回生守りとして人気あるらしい。
楼門の周りにも建物があり
これまた半分にブチ切れて撮ってしまったが、
摂社 出雲建雄神社拝殿(せっしゃ いずもたけおじんじゃはいでん)・・・これも国宝。
内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)から大正時代に移築されたもの。内山永久寺は、鳥羽天皇の時代、つまり12世紀前半頃の大寺院だったが、神仏分離令のために、廃絶、本殿も放火されたという・・・
石上神宮のサイトの説明、見やすいので、気になる方は、見てみてください。
天理市自体のオーラにやられて・・・っていうか、このあたりをわさわさと占めている、パワーみたいいなものはパワフルすぎて、息苦しい(そんなん思い込みだ!って笑われるかもしれないが、本当にそんな気分になった)。
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住宅地の中みたいなところにあった新薬師寺。
門のところに、鹿が入るから出入り用の扉はちゃんと閉めるようにと書いてあった。
すごいシンプル。
左側から入るのだが、中は撮影禁止。
サイトを見ていただいたらわかると思う。
ああ、これがあるのか!って。
中はものすごい派手な世界。色は地味だけれどw
身長160ちょいくらいの十二神将が、ずらっとかっこよく並んでいて迫力もあるので、仏像にあんまり興味ない人でも、うわ!って思うだろうし、
鎧兜とか三国志みたいな世界などに興味ある人も楽しいのではないかな。
国宝の薬師如来坐像は奈良時代から平安初期のもので、体内に法華経の経典入れたのが昭和50年にわかったらしい。
その中身の経典も国宝。
薬師如来の12の願い、凄い。優しい神様~ 自ら光を発する域に向かって、修行している。その光で人を救うわけか。
女の身で苦労してて女は嫌・・・助けて!って願ったら、男にもしてくれるのか?
12の願い、人間のすべての悩みを解決してくれるような話だ。
長い間、人間の願いはかなえられず、常に災難も降りかかり続ける・・・願い事って何だろうね?
形あるものはどうにもならん。形に縛られているから。
形ないものは自由。
しかし、人間の力でどうにもならないことを、なんとかしようと考えている仏像や、修行完了して、願いの通りに自分から光を出して、人をよくしよう、救ってあげようとする仏像など見ていると、日常のことから気持ちが離れて、心がゆったりと広がったり、美しい造形や心持に触れて、清々しく気持ち整うというか・・・
怖い形相の仏像の前で、忘れてた大事なこと思い出して、(つまりうまく怒られて)
きりっと気分新たになるというか。
・・・なんか取り留めない独り言になってきたから、ここまで。
次は奈良公園方面へ向かう。
(続く)