生口島から戻った。
尾道駅を出発するまで、あと数時間あるから、まだ見ていない通りの方を見てみようかと、歩き出した。
空は曇り空で雨降りそう。
ガイドブックの地図が凄くわかりにくくて、似たような路地、これかなぁと選びつつ歩いていたら、想定と違う辺りに、ここ行ってみようかなと思っていた店が現れた。
しかし、定休日だか何か、休みで、人の影もない。
静か。
人の気配。建物の一つを覗きこんだら、女の子が卓球してた。
こういうのが大好きだった時期を思い出す。
年齢関係なく、こういうの好きな人は自分の周りに多くいるが、自分は・・・
常にその年代、その時期で、次々新鮮なものを見たい
(ベースの自分は変わらなくても、子供の時にわからなかった味が、大人になってわかる、みたいに、同じものでも感じ方変わるし、好きの度合いも変わるので、毎日変わる、現時点で新鮮に感じるものとの出会いを探してる。
同じものでも、自分の時期によって違って感じるので、ただ目新しい驚きのものを捜しているのではなく。
だからすごく好きな世界でも、より関わっていたものほど、卒業したくなったりする。)。
子供のころに、銀座のプランタンで、陶器のウサギが何か抱えているという形の植木鉢を買ってもらった。小さなもの。
そこに小さなサボテンが入っていたのだが、サボテンは、もともと弱っていたのか、すぐダメになってしまった。
母は多肉植物育てるのがとても上手で、実家には巨大なサボテンが花を咲かせていたりするが、自分はそのサボテンがころっと死んで以降、サボテンを所有するのをやめた。
多肉植物って世話楽そうでいて、水やりと放置のバランスが難しい。自分には。
自分が中学、高校生のころ、下北沢にあった(今もあるのか、確認してない)、アパートメントストアという古いアパートの中に、古着屋とか雑貨屋があり、中を見て回るにはなんだか息をひそめ、ぎしぎしと、足元を確かめるように進んだのだったが、その感覚を思い出す。
定休日だったのかなぁ、人いないし。
狭い、幅が小さく急な階段上ってみたら、人はいる気配したが、例えば、そこに自分が姿を現わしたら、びっくり、目を見開いて対応されそうな空気を、人の姿すら見ていないのに想像できて、そのまま引き返すことにした。
狭くて小さな階段上り損、いや、ひとつ、目に留まる小文があったから、上った甲斐はあった。
ちょっとしたところに可愛いものがあって、ここに関わっている人たちのことを伝えてくるよう。
自分たちは、なんだかここの人でないという、落ち着かなさを感じて、黙ってその場を静かに去り、また路地を歩きだす。
着物のリフォームを可愛らしくやっているお店、東京だったら高円寺とか吉祥寺とかにありそうな感じかな?高円寺も吉祥寺も長くいっていない気がするので、よくわからないが。
お店の女の人が微笑んで、見ていかないか誘ってくれたが、見るだけで終わって、何を言えばいいのか困りそうだったから、入らなかった。
ただ褒めるのではなく、どう感心するか、そういうの適当にできないから。
心込めてやっている店に入るには、入る側も、心をちゃんと持って入らないとっていう気持ちが働く。
線路沿いの崖のような急坂を上がると、古民家改築系の面白い建物があるのだが、時間がもう無くなってきたので、探索はおしまい。
ふと視線を感じて、見上げると、見られていた。
尾道にはひとなつっこい猫がたくさんいたけれど、これほど睨まれているような感じはなかった。
すごい見てる・・・
と、思ったら、周りにたくさん猫がいた。
ボス猫だったのかな、見張ってたのは。
月日感じる階段。
階段多いのに、それほど苦に感じないのが不思議。
大人気らしいプリンを買って、
駅で荷物をロッカーから出して、電車に乗った。
しかしこのあと、ちょっと面倒なことになったのだった。
途中下りた駅で空港へのバスに乗るつもりが、ちょうどダイヤ改正の3月末で、乗る予定だったバスがなくなっていた・・・慌ててまた電車に乗って、それより先の駅に急いで違うバスに乗ったけれど。
空港に着いたとき、ほっとした。
空港はガラガラだったが、帰りの飛行機は、行きのようなガラガラとは違って、埋まっていた。
旅の終わりにはいつも、旅の始まりが遠く過ぎ去った日になっていて、
またここから始まるんじゃないかって思いたくなる。
やっと、2020年3月の広島旅行の話、終わった。
読んでくださり、ありがとうございました!