さざえ堂の後、会津若松城(鶴ヶ城)へ向かった。
その前に、会津若松駅の隣の、只見線七日町駅近くに寄り道。
阿弥陀寺にある、御三階とは、鶴ヶ城本丸にあった建物。
戊辰戦争の時に、阿弥陀寺の本堂が燃えちゃったから、明治三年に、この建物をこちらに持って来て、本堂として使ってたらしい。
三階建てに見えるが、中は四階建てで、二階と三階の間の小さな部屋が、当時(城にあった時ってことよね?)は密議所として使われていたと、説明文にある。
上から引き上げる式の階段で、下から人が来られないようにしてた・・・って、ほんとわかりやすい内緒話部屋だな。
すぐ斜め前辺りに、レトロかわいい、七日町駅があり、駅舎の中にお土産屋がある。
お土産物充実。赤べこのキーホルダーなども、種類多く、さざえ堂の近くの店で埃被っているのを買わないでよかったと思った。
この付近は、レトロかわいくしたいようで、周辺、レトロ清里(今でなくて昔の)にしたいのかな~って感じの店が並んでる。と言っても、ぽつぽつ程度ではあるが。
七日町駅のホーム。使ってるのか使ってないのかってくらい、のんびり。
地名は「なのかまち」だが、駅名は「なぬかまち」と称してる、と、wikiにあった。
会津若松城に着いた。
周りも広く(約6900坪。東京ドーム6個分だって。)、城も大きい。
これってドローンで撮ってるんだよね、こういうの撮るのには良いねぇ・・・。
2011年に45年ぶりに赤瓦に葺き替えたとのこと。赤瓦は寒さに強いらしい。
入り口のある方に回った。
なんか、コンクリート感がすごい。
元は、630年ほど前に築かれ、明治7年に取り壊されたそうだが、城の中(普通に階段のある、博物館!)に、当時のボロボロの、よれよれになったお城の写真があった。
潰れかけたケーキみたいな形だが、一応オリジナルの城だったわけだから、それを全部壊して建て替えることなんかなかったのに~~、もったいない~!!って思わせた。
旅先などで、城型のビルみたいなの見かける時あるが、そういうのの親分みたいというか・・・昔のっぽさがあんまりないっていうか。
こういう建物、今もあってもいいと思うけれど、ここまで本格的にはできないもんね。
しかし昔は、こういうのが街中にあって、機能していたって思うと、ほんと日本って変わってる。
お城の前に、ゆるキャラがいるって、いつから?
他の場所でもよく、ゆるキャラが城の前にいるような。
野面積み・・・のめん、でなく、のづら・・っていう積み方。
今から約400年前の慶長16年(1611年)8月21日、会津盆地の西縁を震源とするマグニチュード6.9、震度6以上と推定される大地震が発生しました。民家2万戸が倒壊し、多数の死者も出る大惨事でした。七層の天守閣も傾きましたが、天守閣の石垣は持ちこたえたそうです。 会津若松観光ナビ参照。
中に入ると、通信博物館とか科学技術館みたいな、古い感じの博物館で、
鎧兜やら、白虎隊についてのパネルやら、幕末動乱後追われた人たちの行く末やら・・・(恨みこもってるなーっていうのが伝わってくる)。
結構混んでた。7月だったが。
ほとんどパネルなので、そんなに面白くもないが、階ごとに特集しているものが違うし、ちょっとした歴史の勉強にはなる。真面目に見たら。
やっぱり、天守閣、展望層から景色を見るのが人気だよな。
しかし、城を使っていた当時、階層のことなんて読んでたんだろう、一階二階とか、一層二層とか、どうなんだろうな。城に詳しい人とか余裕で答えられそうだが。
(ブツブツ言ってないで、調べろって。。。。)
どなたかのサイト↑
屋根は、「重」、床は「階」ですって。
さすがに高いので、周り広々と、良く見える!
ここの高さどのくらいだろうと思って、色々検索したが、なぜかなかなかわからなかった。
しかし、一見使いずらい、会津若松観光ビューローのサイトの質問コーナーに書いてあった。
石垣から、天守閣のてっぺんまでの高さ、36.5メートル。
赤瓦、綺麗な模型のよう。
城の高さって、どの城が一番高い?と思っても、再建のも入れるかなどで変わってくるんだよね。
再建したものも入れると、大阪城は41.5メートルで相当高い。
城もあんまり見てると、勉強不足を放置できなくなってくる・・・。