ミカヅキカヅキさんの出会った先生
とはまるで違った自分の小学校時代の担任とおさらばし、
区立小学校から区立中学校へ進学したわけだが、中学はさらに広いエリアの生徒が来ていたし、古い暗い校舎で、ただ授業を受けるだけのような中学生活。みんな忙しくて、先生とじっくり向き合うことはなかったが、小学校以上に濃いキャラの先生がいた。
おそらく中学の方が、教科ごとの先生ということもあり、個性が出るのだろう。
担任の先生とのかかわりは、新卒で張り切っていたが、暴力的命令系に変貌してすぐ辞めてしまった先生(自己嫌悪に陥りそう。空回り。)や、
オールドミスとささやかれていた、ひらひらした服がいまいち似合っていなかった(本人の自由だが)数学の先生・・・オールドミスって言葉、初めて知ったのはその時だったが、それ以降に聞くこともなかった。今は死語だろう。・・・・、
ポマードを櫛で撫でつけている目のぎょろっとした、一時代前の感じの現国教師。会話した記憶もほとんどなく、現代国語の教師との三者面談時に、自分の母が、
「本ばかり読んでいて困る」と言った時に、その教師が、本読むのはいいじゃないですか、と苦笑いしたことくらいしか、やりとりの記憶がない。
国語の教師に、本ばかり読んで困ると言っても、そりゃ、困るだろう、先生。
しかし母が言いたかったのは、本を読むばかりで、他のことをしないということだったのだと思う。
中学時代の先生・・・保険体育の女子教師が、スカート丈を定規で測るほどうるさかったことや、保健体育の男子教師のお腹がすごい出てて、足がひょろっと長くて、ハンプティダンプティそっくりだったこと、
髪が白髪混じりのもっじゃもじゃで、科学者のイラストみたいなキャラだった生物の先生が、小笠原諸島出身だということに驚いたこと。
小笠原諸島!・・・すっごい遠いけれど、東京都。
その教師が、細胞の話の時に、若い子はほっといても古い皮膚が勝手に落ちるが、自分は軽石など使わないと踵の角質が取れないと言ったこと。
小笠原諸島の星空は本当に本当に綺麗で・・・とつぶやいたこと。
・・・・生物の授業内容は覚えてないが、そのふたつの話は覚えている。
美術の先生も、明らかに子供の相手が得意でない、絵の具のにおいがしてきそうな、脂ぎった、黒髪を後ろに撫でつけた、無器用そうな先生だったが、話を聞いていない生徒たちに、手を動かす作業をさせつつ、ゴッホやピカソなど、有名画家のエピソードを話してくれたのを覚えている。
子供のころのピカソの絵がうますぎて、美術学校の教師だった父親が絵筆を折ったとか、ゴッホが耳を切り落とした話などだ。
自分にとってはすごく面白かったが。
芸術科目の教師と言えば、音楽の教師で、よそから来た教師が、これまた髪がぼさぼさで、ものすごく気性激しい中年男性教師で、ベートーヴェンかって感じの勢いだったのだが、逆上した時に、生徒に、ピアノの椅子を振り上げたとかで、すぐ辞めさせられた。
自分も、部活さぼりで追い掛け回されたことがあったが、うっとおしい反面、笑顔も満面で、いい顔で笑う先生だったのもなぜか覚えている。
中学か・・・音楽発表会の時に黒い靴で来るように言われて、黒いコンバースのハイカットで行って、周りからひんしゅく買ったこと、
音楽室でシックハウスの症状を起こしてきつかったこと。
夏の水泳教室の時に、女子生徒が、水泳部OBの大学生にざわめいていて、大学生なんてすっごいオジサンじゃん?!と驚いたこと・・・
ませた転校生の発達し過ぎの女子が、周りの女子に、危ない話を広めていたこと。
やはりませた転校生の男子が制服を改造して周りを驚かせていたことなど・・・中学、全く好きでなかった自分が覚えているのはこれくらい。
忘れられない、いい先生との出会いと言えるものはなかった。
中学時代も、自分の好きなことに夢中・・・本と洋画・・・・だったので、中学校とか中学の先生のことなんてほとんど覚えていることはないかと思ったが、意外とあったし、中学で初めて知ったこともわりとあったのだな。
海外へのあこがれがどんどん強まっていたのも中学からで、意識がそっちに行っているから、やはり、中学生活が校舎のように灰色でも、通過するだけの時期と考えていた。
先生の話より、一市民の中学時代の回想じゃんw
読んでくださりありがとうございます!
(高校編へ続きます)