9月の中頃に、九州へ行ったのだが、
その旅の始まりは、福岡からだった。
福岡空港は便利だと聞いていた。過去に、社員旅行で来た時には、福岡空港で即バスに乗ったので、周りの様子は分からなかったが、今回はなるほどと思った。
空港出たら、すぐに、普通に街だったから。
最初に腹ごしらえということで、うどん屋へ行った。
本当は、その左にある天ぷら揚げたて、塩辛食べ放題が人気の店に行きたかったのだ(自分は塩辛はどうでもいいのだが)、大行列だったので、隣のうどん屋へ行ってみた。店内はほぼ満席だった。
勢いある。みんなの食べる活気や、元気な従業員のおばちゃんたち・・・
すぐに注文聞きに来て、すぐに料理も出てくる。
周りを見ると、カレーうどんとご飯を食べている人が多かった。
ラーメンライスみたいな感じなのか。しかしどんぶりも大きい。
冷たいうどん好きなのだが、リコメンドっぽい写真を見て、ごぼう天とわかめのうどんを頼んだ。
うどん、東京では丸香のうどん屋に何回も行っていて、残したことは一度もない。
この日初めて、うどんに負けた。
まず、量が多い。そして、この釜揚げのふつうの硬さといううどんが、すごく柔らかく、みるみる汁を吸って、どんどん増えていくのだった・・・・
敗北・・・
昼ごはん後に最初に行ったのは、吉野ケ里遺跡。
実は、今回旅行で来るまでまったく存在を知らなかったというか、知らないに近い位記憶から消えていた場所。
教科書にも載ってるくらいの遺跡なはずだったが・・・・
入り口からしばらく歩いて目に入ったのはこれ。
ここ、結構歩いて、こういうのを周る系か~・・・・・・と思いつつも上がってみたり。
けぇっこう広いので、遺跡っていうより、公園扱いなのか、子供連れが割と来ていた。昔はディズニーランド並みに人気の時代もあったそう。
およそ117ヘクタールらしいが、117ヘクタールっていうのがそもそもどのくらい広いのかわかりにくい。
竪穴式住居だ!と最初はちょっと嬉しくなる。
再現された村の建物の中は、
どういうことをしてたかという説明の人形がある。
弥生時代の支配層は、「大人(たいじん)」で、普通の人は、「下戸(げこ)」と言ったらしい。ここは、支配層の住んでいたエリア。
最初はいちいち、中を覗くものの、
だんだん面倒になってくる。
マルタのカタコンベなんかもそうだ。最初はわくわく中を見に行くのに、だんだん面倒になってくる。
またちょっと歩いて行くと・・・
この感じは、防人の歌みたいな気分になる風景?(防人の歌って、大化の改新の後なのね、だからこの遺跡よりずっと後の話ね)
また違うエリアに。
こちらは吉野ケ里の「クニ」の中で最も重要な、祭りごとのための場所。
なんか・・・見晴らしのいい公園にある、ちょっとユニークな展望台のよう。
上に上がってみると、
重要な話し合いをする場所とか・・・本当にこんな服着ていたのかなぁ。
祖先の霊の声を聴くための部屋とか・・・・それは王たちに伝えらえるそう。
しかし、日本人、未だに、いたこに会いに行ったり、霊の声を聴くっていうのは今もある・・・それも世界共通?
と考えたら、そんな長く続いている慣習と思うと、人間にとって必要なことなんだなとも思う。
これは、高床式住居じゃないか、教科書で見たことある!
しかし、時間の関係上、重要ポイントだけ見て、出口へ向かった。
遠くから見ると、なんだあれは?すごい!ってなるのだが、近くに寄るとアスレチック公園風であった。
参考↓
matolさんが書かれていた記事、すごい詳しいです!