世間が落ち着かない様子でも、ALISで変わらず記事を書けるのはありがたい・・・しかし何を書こうか、
記事投稿の時間が取れてなかったから、ネタは溜まっているのだが。
・・・前回の大阪の記事の続きにしようかな。
ちょうど、kyo asahinaさんが行ったところと同じところに行ったし!
というわけで、前回の四天王寺の後に行った、住吉大社の話をします。
四天王寺から移動。
今度は路面電車に。
大の仲良し友(前記事参照・・・・するほどでもないが、自分の記事に時々登場させている大親友とはまた別の友人。)は路面電車大好きで、嬉しくてたまらない様子だったが、こちらは、子供のころ世田谷区に住んでいたから、世田谷線にも何度も乗ったことがあり、あまり珍しく感じなかった。
世田谷線は車と並んで走ることはなく、それに、今はレトロ車両じゃない今時の形のが多いのかな。
この位置は取り合いになっていなかった。
前とか後ろの方の席って人気ありそうなのに。
・・・それ以前に空いてた。
のんびりしていて気持ちいい。
外を見ると、急に、立派な灯篭がやたら並んでいるのが見えた。
住吉大社に到着。
路面電車を降りて、船の形の像(なんて言えばいいのだろうw。モニュメント?
kyo asahinaさんの記事に写真あり)
や説明文の看板を見て奥へ。
船を使った貿易などしている人や、航海する人なら、特に参拝したくなるような、住吉大社。
灯篭は夜はライトアップされるのか?それっぽいライトがあちこちにあった。
こんなにたくさんあったら、光って綺麗だろな、灯台の明かりみたいだ・・・・
ああそうか、灯台。
航海安全。海の神様だものね。
住吉大社の前は昔は浜だったと。だからそこに常夜灯が並んでたということか。
天気も良く、結婚式をしている人たちも。
手水舎は、コロナの影響で使えないところ多いよな。
てみずって書いて、「ちょうず」って、やっと覚えた。
住吉神社の大ボスが住吉大社だよね。
住吉大社を住吉神社と言ってしまう。
なんだかすっきりしている・・・
鎮座から1800年たつそうだが、現在の本殿は、1810年に作られたものらしい。
同じ様式の、本殿が4つも連なる。
住吉造は神社の様式として、最古と、HPに書いてある。
昔の日本人・・・日本人として、先祖はどんな、と思わせる。
住吉大社には色んなご利益のお守りがあり、友人がお守りの売り場に行っている間、自分は見まわしていた。
お守りを売っている巫女さんの髪飾りが気になった。
頭に松みたいな冠っぽいヘアバンドを付けている。撮らなかったけれど。
友人が、ばっちりな写真を撮るべく、時間かけている間、こちらはあちこちの屋根を見ていた。
この松もまた、変わった形だ。
屋根を見ていたら、何か刺さっている。どうやら、お賽銭を投げた模様。
なぜ、そこに刺すように投げるのだろうか?
kyo asahinaさんの記事にあるように、コロナ感染予防のため、おもかる石など、触る系のものは中止。
後ろの方にある、末社もひととおりざっと見た。
子宝祈願の種貸社は新しい感じだったが、楠珺社(なくんしゃ)は、大木の楠木が建物から生えてるかの如くで面白かった、が、閉める時間でせかされたので、よく見れなかった。
境内結構広いし、有名であるはずなのに、地味な、石舞台もある。
電話ボックスも、景観に合わせてるのね。
境内を出て、通りを見ると
また路面電車、と、謎の店が見えた。
この隣、写真に写っていないが、右側の黄色い店の並びにある薬局もすごく濃くて、
kyo asahinaさんも写真撮っていた。
ここを渡ってまっすぐ行くと、住吉公園になり、それを通過すると、住吉高灯籠というのがある。資料館になっているが、その日はコロナの影響で閉業中みたいだった。
そのあたりも、錦絵に描かれるような風景(長谷川貞信(初代)『浪花百景之内 住吉高灯籠』)があったらしいが、今の景色は・・・
緑も公園にはあるものの、車ががんがん走り、飾り気のない建物が並んでいる。
しかし、ここに何にもなかったら・・・という風景想像できなくもなかった。