続きです。
次に向かったのは岩船寺。
なんか、鎌倉にもこんな雰囲気が・・・。
岩船寺には重要文化財が多いが、いつのものかはっきりしないものが多いよう。
三重塔も、現存しているのは室町時代のものらしいが、内部の来迎壁の絵についてはいつのものかはっきりしていない感じ。
しかしみんなこの塔の周りを中心に見学していた。
本堂の中にも、3メートルもある阿弥陀如来坐像があり、それは10世紀中ごろのものだそう。
アジサイがきれいな寺らしく、雰囲気を楽しむ寺のようだ。やはり鎌倉と共通するかも。
岩船寺の後、平城京跡歴史公園へ。
ここのこと、全然知らなかった・・・・
平城京跡地に、平城京を再現しようとしていたなんて、知らなかったw
自分が知らなさすぎか?
最初、だだっ広い敷地に、なんか派手なのあるなぁ、なんだあれ・・・・くらいの気持ちで。
しかも、復元した建造物から建造物の間が遠い!
道から建造物までも結構遠い。
空いているところというか公園?では、テント張ったり、レジャーシート敷いて遊んでいる家族連れも多く、キャンプ場のようでもあったり。
平城京は、710年に唐の長安を真似て作られ、奈良時代の中心の74年間、日本の中心であったという。その前は飛鳥の藤原京。平城京の後は京都の長岡京、平安京ね。
全体の大きさは、東西約6キロ、南北5キロ。
平城京を作るのに、地方からも人が動員されて、すごい仕事きつくて逃げ出す人もいたとか。↓参考。
第一次大極殿(復元)。
大きさは、おおよそ、横44メートル、奥行き20メートル、高さ27メートル。
朱色の柱44本、瓦9万7千枚使用。
まず、近づくのも遠い。
建物の中には、前に、こすもすさんのブログで見たことあるのがあった!
高御座(たかみくら)だよね?
建物の中には高御座がある以外はがらんとしているので、外に出た。
ここが凄く見晴らしがよくて・・・全体に目が届きそうなくらいに。
1300年前にはここに10万人以上の人が暮らしていたのか。
今はだだっ広い、平たい地。
しかし思い込みか、歴史ある土地って何か、その土地の記憶のようなものがある気がして、気持ちざわめく。
その後、海龍王寺へ。
この西金堂の中に、国宝がある。
五重小塔。
4メートルちょっとの大きさであるが、建造物。
天平時代の五重塔で現存するのはこれだけだそう。
何でこんな小さいの作ったかというと、光明皇后の住居の敷地内に伽藍とか全セット作るには敷地狭すぎだったから。東金堂もあったが、明治時代に焼失した(廃仏毀釈)。
この日の奈良巡りはこれで終わり。
泊る所に向かう途中、ぽつぽつと住宅があるような通り沿いで、三脚を担いだおじさんがあちらこちらから現れてきて、場所を決めて、立っていた。
何を見てるのかと思ったら、薬師寺の塔の方向。
みんな時計やスマホ見て、何か待ってる模様。
何が起きるのかなあ。
薬師寺のライトアップ?
すると・・・・
あ。月が見えてきだして、そこにいた人たちもファインダー覗きだした。
自分はその時も望遠レンズ持ってなかった。
稜線に真珠みたい。
こういうのって、もっと月が上に来て、塔を照らし、水面にももっと月の光が当たった時の方がいいのかな。
まだ帰らないからとか、電話で話している人もいた。
見まわしたら、おじいさんだらけというか・・・中年以上の人だらけ。
しかしまあ、よく見つけるよな。撮影スポット。
(続く)