西明寺の後、神護寺に向かったのだが、思ってたよりすぐに着かなかった。
神護寺については、こすもすトラベルに出てないか、自分が読んでないだけかと、検索したが見つからず(こすもすさんも行っていたそうですが、記事は書かれていなかったそう。)。
高雄に来たから、3点セットでという感じで、高山寺、西明寺、次は神護寺でしょうというくらいの気持ちでやってきた。
やっと参道が見えてきた・・・
この後が長いとは、先に情報収集が足りなかった。
石段を上っても上ってもたどり着かない。
なんとここ、350~400段あるらしい!!!
知らなかった。
母連れてきて失敗・・・登れたけれど・・・
やっと到着して振り向いて撮った。
途中休み休み上っている人もいた。
拝観料を払って最初にトイレに行った。
なんと、高山寺と真逆で、ピカピカのウォッシュレット付き水洗トイレだった。
あーやれやれ、着いた着いた・・・しかし広いな、ここも。
ちなみに、東京ドーム4個分、約6万坪らしい。広さ。
ところどころに建物があるが、石段で疲れたせいか、どんどん進む。
山自体が寺という感じ?比叡山に行ったときに感じた雰囲気に近いものがある?
割と平らなところ多いし広々としているが・・・
神護寺は空海のお寺なのだよね。以下、
ホームページがなかなか文字ぎっしりで読み応えある。
凄い重要な寺じゃん!石段登ってきてよかった!(1回でいいかも)
天長元年(824)真綱、仲世の要請により神願寺と高雄山寺を合併し、寺名を神護国祚真言寺(略して神護寺)と改め、一切を空海に付嘱し、それ以後真言宗として今日に伝えている。
神護寺は最澄、空海の活躍によって根本道場としての内容を築いていったが、正暦五年(994)と久安五年(1149)の二度の火災にあい,鳥羽法皇の怒りに触れて全山壊滅の状態となった。
わずかに本尊薬師如来を風雨にさらしながら残すのみであった惨状を見た文覚は、生涯の悲願として神護寺再興を決意するが、その達成への道はとても厳しかった。
上覚や明恵といった徳の高い弟子に恵まれ元以上の規模に復興された。
その後も天文年中の兵火や明治初年の廃仏毀釈の弾圧にも消えることなく法灯を護持している。(神護寺のホームページより)
また石段が見えて、母親が、ええええ!もう階段、止めてよと言った。
そう言いつつも上った。
参拝者はちらほらいた。
薬師如来立像が、国宝。
この形のおみくじはちょっと珍しいかも?!
ここの薬師如来は、黒っぽくて大きくて、力強かった。
ここも木がいっぱい!
かわらけ投げの場所。かわらけは釉薬を塗る前、つまり素焼き。
ここがかわらけ投げ発祥の地だそう。
眺めいい!
階段だらけ。
広くて、母も細かく見る気が無くなってきた模様。
そろそろお昼食べないとな、と寺を出た。
寺を後にして、振り向いたところ。門は修理中。
少し降りたところにある茶屋に寄った。
母が頼んだきつねうどん。
美味しそうだが、味は普通だったらしい。
もみじ餅食べてみたが、道明寺粉の餅のブツブツ感は好きなのだが、餅粉が古い味?
なんか干からび感があった。コロナで人来てないのかなw
グラスに入っているのはお茶です。
味はともかく、場所がいい。東南アジアにもありそうな雰囲気の店。
くつろいでいる途中でバスの時間を思い出した。
バスの本数少ないので、逃すと相当時間つぶさないといけない。
老人、しかも疲れているであろう人を急かすのは危険なので、あきらめつつ降りて行った。
下りきっても、バス停まで今度は坂を上る。
もうだめだろうと思ったら、ギリギリ間に合った。バスが遅れていた模様。
神護寺はとにかく石段が激しい!!
という印象が強く残った。
つづく