やっと北海道の記事も投稿終わり。他に溜まっているネタはあるが、旅行記事はいつもだいぶ過ぎての投稿になっているので、今日はつい昨日一昨日のことを投稿しようと思う。
デジカメでも撮っているが、まだ確認もしていないので、スマホ写真だけ。
先週末、東北新幹線で青森に行った。
夏に本八戸に行ったが、本八戸と違って、八戸駅の周りはほんと閑散としている。
駅ビルの食堂のメニュー、青森ごはん。いかめしやせんべい汁がある。
駅は新しくて、デザインも今風。
しかし売店も小さいし、新幹線の停まる駅とは!と驚く感じ。
櫛引八幡宮に来た。
神社仏閣サイトではやりの?、妙に動くサイトトップ画面!
鎌倉時代から南部藩の総鎮守だったそうだが、その南部氏はもともと山梨からやってきた。
御神馬の像。
八幡馬の形。八幡馬は8月15日のお盆の頃の縁日で売られだしたのが始まりとあったが、職員らしき人に何年ごろのか聞いたら、わからないと言われた。
立派な灯篭もあった。こういう灯篭、よそでも見たことあるような。
やたら河童が多い。
本殿(かなり老朽化)の脇障子に、左甚五郎の彫ったとされる鷹と河童の彫刻がある。
櫛引八幡宮を造営しにやってきた左甚五郎(眠り猫で有名な人ね)、間違えて切ってしまった柱を川に投げ捨てようとしたら、柱が、やめてくれと頼んだ。
しかし左甚五郎は、「ケツでもくらえ」と言って川に投げ捨てた。
その柱が河童になって、馬や人を襲うようになったので、村人が八幡様に祈願したところ、鷹が現れて、河童を懲らしめてくれたという。
鷹が河童の頭を連打したそうで、おかげで禿げたって。
この地では河童はメドツと呼ばれていたらしい。河童の話だけでなく遠野との関係についても貼り紙があった。
山梨から八戸、そして遠野か・・・
河童みくじ、遠野にもあるのかな。
正門。1648年建立の四脚門。
正門の脇の狛犬。
むっちりどっしり。
七五三のために来ている家族ちらほら見かけた。
新しめの拝殿の裏に老朽化の激しい本殿がある。
拝殿の中には、色んなものがあった。敵国降伏と書かれた扁額の文字もあったり。
神明社の右の灯篭も変わってる。
なで大黒さん、右の木の彫刻、生き物っぽい。
念じてから、右の石を持ち上げるらしい。重かった場合は、叶わず、軽かったら願いが現実化すると。
軽く感じるっていうのは、結局のところ、調子いいからってわけでは?
可愛らしい春日社。江戸時代(1739年)のもの。
右の松福(しょうふく)稲荷神社は、前は松下ライフエレクトロニクス神社だったらしい。
左は悶破(もんぱ)稲荷神社。心の悶々とした悩みや苦しみを打ち破って払ってくれるそう。
小さな狐さんいっぱい。
はちまきかっこいい。
明治記念館。八戸小学講堂として、明治14年に完成。天皇の行在所としても使われ、その後は図書館になり、今は結婚式の控室などに使われていたり。
ところで、櫛引八幡宮の国宝館には八戸ご自慢のお宝がある。
国宝 赤糸威鎧 (あかいとおどしよろい)と国宝 白糸威褄取鎧 (しろいとおどしつまどりよろい)なのだが、どちらも、実用品ではなく祝い事用の、超豪華な鎧。
糸があったところは糸の付け替えをしていて、もともと糸がボロボロになっていたり無くなっているところはそのままにしているとのこと。
フランスやアメリカにまで展示のために海を渡ったことがある鎧兜なのだが、なんと過去に一度盗まれたらしい。櫛引八幡宮の関係者だと語って、ごっそり持って行ったと。
ところが、盗んだ後、怖くなって、盗んだものを川に捨てたそうで。
(犯人は捕まっていないので、怖くなったというのは推測だろう)
国宝の鎧兜は、泥にまみれて発見されたらしい。
泥まみれを綺麗にするの大変だったって、そりゃあそうでしょう。
続く