明日香村巡りの続きです。
少し自転車こいで向かった先は
石舞台古墳。
ここに着く途中、ちょっとした坂道があり、その左側の無人販売所で小さなミカンが売っていたのが気になったが、道中つぶれると嫌だから買わなかった。
石舞台付近、結構空いていた。
6~7世紀のもので、蘇我馬子の墓説が有力。巨石30個の総重量は2300トン。
月の夜に、キツネが美女に化けてこの上で舞ったという話があると、上に貼ったサイトに出ていたが、夜見ても綺麗だろうな。神秘的。
この周り、当時どんな感じだったのか?
門番的な人とかいたのかなあ。
光をうまいこと入れている隙間。
光の入る教会とか、こういうのの延長線上だろうか。
石舞台古墳の次に向かったのは、岡寺なのだが、
岡寺までは結構長いきつい坂があり、電動でない普通の自転車で行くには、ちょっと大変。しかし、見てみたい仏像があったので、向かった。
割と人気があるようで、駐車場から歩いて向かう人たちは結構いた。
日本最初の厄除け寺であり、ご本尊は土で作られた仏像(塑像)としては日本最大だそう。
もともとは東光山 真珠院 龍蓋寺(りゅうがいじ)という名前らしいが、飛鳥の丘にある寺ってことで岡寺と呼ばれることになったとある。
弘法大師が日本・中国・インドの土を使って造ったご本尊の胎内には、それ以前にご本尊だった金銅如意輪観世音菩薩 半跏思惟像(重要文化財)が入ってると、サイトにあった・・・すごい発想。
手水がすごいギラギラしていた。目がおかしくなる。
なんでビー玉・・・
本堂、なかなか大きい。1805年に造ったそうだが、完成まで30年かかったと!
高さが4メートルもあるご本尊が安置されている。
見晴らしいい・・・(道理で結構辛かったわけだ、自転車で上がるの)。
大きな楓。紅葉のピークは火の鳥の翼みたいになるのかな。
境内にこういう植木が飾ってあるのを見ると、なぜか東南アジアの寺風に思える。
お守りも色々売っていて、このような願い事的なものもあった。
本堂の中は写真撮れないので、岡寺のサイトで、ユニークなご本尊、見てください。
高いところにあるせいか、なんだか居心地の良いところ。
上の方を見ると、獅子舞みたいなのがあったり。
岡寺のもともとの名前、龍蓋寺という名前の由来は、龍を池に封じ込めて蓋したエピソードから。
この池の中に龍が眠っているって。
仁王門の軒下にも可愛らしいのがいる。
岡寺は、他で見たことないユニークな仏像もあるし、色んな要素があって、楽しい。
お昼ご飯に、この辺り名物の柿の葉寿司の入ったランチ。
見た目も可愛らしく盛りだくさん。
にゅうめんと、小鉢と柿の葉寿司、わらび餅、生のイチジクまで!
穏やかな季節の味わいで、また来たくなる店だった。
ちょうど人が引けたときに写真撮ったが、実際、にぎわっていた。
どこでも、ブラタモリだな。
お腹も満たされたし、再び自転車。
飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)
7世紀半ばの、大化の改新の舞台となった場所。
中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺したところですね。
石畳は復元したもの。
ちなみに、ここも、通り過ぎただけだとなんだろうこれは・・・ってなくらい、いきなり現れ、広がっているだけ。
次に、亀形建造物っていうのがあり、割と人が見に向かっていたが、有料なのだけれど、近づかないでもいいなら、無料で脇から見える。
いまいち心惹かれなかったので、その横道を歩いて進むと、酒船石(さかふねいし)というのがあった。
酒を造った?と想像されているそうだが。
ここに子供がよじ登っていた。
また少し自転車で進んで、飛鳥寺に到着。
596年蘇我馬子により創建。日本最古の本格的寺院。
しかし本堂は鎌倉時代に大部分燃えて、江戸時代に再建。
ご本尊の銅造釈迦如来坐像(重要文化財)は飛鳥時代の作のもので、日本最古の仏像だそうだが、国宝ではない。
なぜなら、やはりこれも結構燃えちゃって、顔と右手の一部以外は、後の時代に補修したものだから。
人写ってないけれど、結構人はいた。
飛鳥寺についての説明文、妙に癖があり、住職さん、ちょっと変わってるのかなと思ったら、中の仏像の説明してくれてた人がそれっぽかった。
本堂より先に進むと、
蘇我入鹿の首塚と呼ばれている五輪塔がある。
飛鳥寺の本堂の周りなどは、特に飛鳥チックでもないが、3メートルある仏像の顔は、法隆寺の仏像のように顔が長くて、不思議な雰囲気だった。写真撮れないので、興味ある方は、飛鳥大仏、ネットサイトで見てみてください。
そしてまた、自転車こいで、レンタルサイクル返しに行った。
だだっ広いところに、遺跡が点々とある感じ・・・普段の暮らしとはずいぶんかけ離れた雰囲気を味わえた気がする。
明日香村、やっぱり独特・・・
奈良の話は続きます。