さて、竹取物語についてもう少し考えてみたい。
まずは、なぜ竹なのか、ということがこの物語の重要な部分であると考えるので、そこから考察してみたい。竹というのは、イネ目イネ科タケ亜科に属し、茎が木質化して木の様になる植物のことである。日本ではその多くが帰化植物であると考えられている。それは生物学的にも考えられるが、ここではそれを言語学的に分析してみたい。タケと似た植物としてササがあり、ササには日本産のものが多くあると言われている。つまり、ササが和語であるのに対してタケは外来語である可能性がある。しかしながら、竹は漢音や呉音ではチクと読み、いわゆる中国からの渡来ではない。一方閩南語では竹をtekと読み、ヴェトナム語ではtrucあるいはtreと読む。竹が温帯・熱帯性の植物であることを考えると、これは中国南方、あるいはインドシナ方面からやってきた可能性が高い。
これの示唆することは非常に大きい。まず、タケというのは、国譲りで出てきた建御雷や建御名方のように神の名に多く使われ、また、武内宿禰という伝説的な人物の名にも使われている。この武の字はのちに武田信玄を生む武田氏につながるし、一方で倭の五王の中で雄略天皇に比定される武とも重なる。雄略天皇は日本書紀でその和名を大泊瀬幼武とされ、また稲荷山古墳や江田船山古墳から出土した鉄剣銘の獲加多支鹵をワカタケルと読み、それを雄略天皇に比定することが有力とされる。そうなると、これまた神話上のヤマトタケルともつながってきそう。武に話を戻すと、飛鳥から平安初期にかけての、天武、文武、聖武、桓武といった天皇にはみな武が付き、その時期における武という文字の重要さが浮かび上がる。つまり、日本書記の終わりから続日本紀の世界において、武、そして竹というのは非常に重要な意味を持っていたと考えられ、竹取物語はその観点から見る必要がある、ということが言えるのだ。
ここで、主祭神を建御名方とする諏訪大社に伝わる神話を見てみたい。それは諏訪にいた神である洩矢神と諏訪にやってきた諏訪明神(建御名方)とが、それぞれ鉄鎰(鉄輪)と藤鎰(藤の枝)を持って戦い、諏訪明神が勝ったという話である。ここで建御名方が藤の枝を持っていたというところに注目したい。フジという植物は日本固有種であるが、藤という漢字は中国では日本でいう籐のことを指す。籐は南方系の植物であり、日本には自生しないが、曲げやすく丈夫な素材であるために家具など様々な用途に利用され、鞭としても使われるという。竹冠であるのは、あるいは日本では竹が籐の代わりに加工素材として使われたためかもしれない。それはともかく、重要なのは、建御名方が鉄に勝つほどの武器としておそらく籐を操っていたということであり、それは建御名方が南方から来た神であることを示唆しているということだ。つまり、建御名方とはタケ南方であるのではないか、ということが考えられる。
このように、竹に関わる文化は南方と深いつながりがあり、竹の中から生まれたという話自体中国や東南アジアに多い話であるので、竹取物語もその背景の中で考える必要があるだろう。