『ビットコインを超えてーーマネーを私たちの手に取り戻すために』の続きです。
お金は経済の血液である。企業の生産活動や私たちの消費生活をはじめあらゆる経済的取引が効率よくスムーズにおこなわれるのは、ひとえにこのお金があるおかげである。ところが、その大事なお金が不足してしまったらどうだろう。血液がとどかなくなった細胞がやがて壊死してしまうように、お金が十分にゆきわたらない地域経済もまた停滞をよぎなくされるであろう。
じつはいま経済のグローバル化の名の下でおこっているのは、まさにこうした現象である。ここで仮に中央資本の大手流通業X社が地方の小都市であるA町に進出してきたとしよう。
これは、町にとってどのような意味をもつのだろうか。雇用機会を創出するという点では、たしかにX社は地域に貢献しているといえるだろう。だが、その一方で、X社が地元の取引で得た収益は、地元の取引先と地元の被雇用者への支払いを除いて、すべて本社へと流れていくことを忘れてはならない。つまりそこで起こっているのはまさに「マネーの域外流出」なのである。
同じことは、交通機関の発達による商圏の拡大にもあてはまる。道路網が整備されることによって、山形市と仙台市との距離は以前よりずいぶん近くなった。だが、まさにそのゆえにこれまで山形市内で買い物をしていた人の多くが、いまや仙台市で買い物をするようになっているのだ。これもまた「マネーの域外流出」という現象にほかならない。
こうして地域内の経済循環は縮小の一途をたどり、経済の血液として不可欠な「お金」が地域からどんどん消えていっているのだ。
こうした「お金」不足の解決策にはふたつある。ひとつは、町外からお金を持ってくるという方法である。だが、そのためには全国レベルで通用するだけの商品力をもつ企業を育成する必要がある。いわば「輸出型」産業の育成だ。このためにはマーケティング力の強化をはじめ多くの取り組みがなされねばならない。もうひとつは、自己金融システムの整備である。これは、本来ならば地元の金融機関の役目である。地元の金融機関が金融機関だけにみとめられた特権である信用創造機能によって、地元企業にお金を貸し出し、地域内の貨幣流通量を増やすのだ。ところが、いまは金融機関がその機能を果たしていない。そこで、いまや金融機関とは別の「造血」手段が必要になっている。その手法のひとつが「地域通貨」である。
地域通貨にはもうひとつの面がある。それは人々の間に信頼を生み出すお金だということである。一般に円貨は、別名縁切り貨幣ともいわれる。それは「手切れ金」という言葉があることからもわかるだろう。一方、地域通貨は別名縁結び貨幣ともいわれる。なぜなら地域通貨は、それを使う人々の間の信頼の絆をさらに強める効果があるからだ。その意味で、地域通貨はコミュニティ再生のツールとしても期待されている。
いまマーケティングの世界では、マスマーケティングから1to1マーケティングへ、という大きなパラダイム転換が起こっている。1to1マーケティングとは、一人ひとりのお客さまを大切にしよう、リピート客としていつまでもおつきあいいただけるよう大事にしていこう、という考え方である。その背景には、高度成長時代が終わったことがあげられる。成長が頭打ちになった以上、市場の急拡大はのぞめない。そのため、新規に顧客を獲得するよりも既存顧客を維持し、育てるほうにコストをかけたほうがよい、となったわけである。
ところで顧客を育てるためには、その前提として顧客をDB化しなければならない。これがすなわち、マーケティングでいうところの囲い込み戦略である。そして、容易に理解できるように、じつは地域通貨は、この囲い込み戦略とはきわめて相性がよい。そもそも地域通貨は、会員を囲い込んだところで機能するものであり、さらにその活動自体、地域通貨ネットワークへのロイヤルティ(忠誠心)を高めることになるからだ。
そのせいかどうか、いまマーケティングの世界で試みられている囲い込み戦略の手法は、きわめて地域通貨的である。もちろん、その根本にある思想は、地域通貨本来のそれとはまるで異なるものであることはいうまでもない。だが、そこに見られる類似は、今後の経済社会のあり方を占う上できわめて興味深い現象であるといえよう。
有機農業を営むAさんはいま、オンラインショップの立ち上げを計画中だ。それを使って自慢の有機野菜を全国に売ろうというわけである。ところが、困ったことにHPの制作をデザイナーに頼むだけの現金がない。 Aさんがこぼす。「現金はないけど、野菜ならいくらでもあるんだけどなあ_」。
同じ頃、ウエブデザイナーのBさんも頭を抱えていた。「こういった仕組みのプログラムがあれば、面白いHPができるんだけどなあ。プログラマーに頼んだら、けっこうお金がかかるんだろうなあ_」。
またプログラマーのCさんにもちょっとした悩みがあった。「体によい有機野菜が食べたいんだけど、とはいえお金を出してまで買うというのもなあ。もしだれかが有機野菜をくれるというのなら、お礼にちょっとしたプログラムを作ってあげてもいいんだけどなあ_」。
このケースでは、3人は各自の需要と供給において、互いに補完的な関係にある。そのため3人は、お互い納得さえすれば、通常のお金を介することなく、それぞれ欲しいものを物々交換の形で入手できるはずだ。じつはそれを可能にするのが、多角間バーター取引という仕組みである。そして、これこそが、地域通貨の基本的な仕組みなのである。
地域通貨にはいくつかの機能がある。代表的なのは、「グローバル経済に対抗するセーフティネット機能」「経済振興機能」「コミュニティの再構築機能」の三つである。そして、これらの三つの機能がうまく発揮された時にはQOL(Quality of Life)の向上、つまり住みやすい町が実現されることになる。
グローバル経済の地域への浸透は、まず購買力(お金)の域外流出となって現われる。また世界経済と直接リンクされる割合が増えるため、世界的な景気変動など外部的な不安定要因に翻弄される危険性も増す。さらに購買力の域外流出は、地元企業の存立基盤をあやうくさせ、やがて企業の倒産とそこで働く社員の失業をまねくことになる。倒産や失業がいやなら、そこで働く人は人よりもよけいに働かねばならない。だが、働く時間がふえればその分、家庭生活にさく時間や余暇を楽しむ時間が失われる。その結果、QOLは低下する。それらをある程度ふせぐセーフティネットとしての役割も地域通貨には期待されている。
貨幣は市場の支配者である。なぜなら、商取引のためには、その大前提としてまず「お金」がなければならないからだ。お金がなければ取引はおこなわれないし、取引が期待できなければ商品そのものが生産されない。いっぽう、グローバル経済の下では、ほうっておけば「お金」は地域からどんどん流出していく。局地的なデフレ現象はますますひどくなり、そのデフレがまた商取引を抑制しそれが生産を抑制し、雇用を抑制し、その結果ますます貨幣不足(デフレ)をもたらす、という悪循環に陥ってしまう。地域通貨は、そうした貨幣不足を補うと同時に、円貨との併行通貨制を採ることで、円貨が域外に流出することを防止する機能をもつ。
また地域内でしか通用しない地域通貨の使用は、必然的に地産地消をうながす。同時に地域通貨による商取引の増加は、損益分岐点の相対的低下をもたらし、その結果、地域の課題を地域で解決するコミュニティビジネスが生まれる可能性も高くなる。さらにコミュニティビジネスで訓練をつむことで、本格的なベンチャービジネスが生まれる可能性も高くなる。
地域通貨は、人と人をつなぐ紐帯としての役割をもつ。そのため、地域通貨を導入した地域には、ひとつの運命共同体としての連帯感と愛郷心が生まれる。また地域通貨の導入によってもたらされるQOLの向上は、地域全体のイメージアップにもつながり、訪れたい観光地、あるいは永住したい町として、対外的なブランド価値が高くなる。またそれまでビジネスライクなつきあい(お金をもとにしたドライなつきあい)と、信頼をもとにしたつきあい(友人同士のウエットなつきあい)とのふたつに二極分化されていたコミュニケーションのありかたにも多様性が生まれ(グレーゾーンの拡大)、それがまたQOLを向上させるという好循環を生むことが予想される。
コミュニティビジネスは、そのままではビジネスとして成立しない。なぜか? 本来、資本主義というのは、利益のあるところ、どこへでも侵入するどん欲な運動体である。それは倫理的にふさわしくない領域でさえ、利益が出るのであれば、法の目をかいくぐってでも浸透していく性質をもっている。ところが、コミュニティビジネスが対象としているのは、そのどん欲な企業ですら、手を出さなかった領域である。なぜ手を出さなかったのか? 答えは簡単だ。利益が出ないからである。ではなぜ利益がでないのか? 損益分岐点を下回るからである。
損益分岐点というのは、どれだけの量を売れば利益が出るか、あるいは出ないかというポイントのことだ。損益分岐点を上回るだけの量の商品を売らないと企業は、利益が出ない。この損益分岐点は、通常、市場の大きさに左右される。市場が一定以上の規模がないと損益分岐点を上回ることはない。つまり、コミュニティビジネスが、ビジネスとして成立してこなかったのは、ひとえにその市場規模が小さすぎたためである。
このような市場で無理矢理ビジネスを起こそうとしても、失敗するのは目にみえている。だが、方法がないわけではない。要は損益分岐点を下げてやればよいのだ。では、損益分岐点をさげるには、どうするか? もっとも簡単なのは、被雇用者の給料を下げることだ。被雇用者の給料を下げれば、人件費がさがって、その分、損益分岐点も下がることになる。だが、給料が下がってもやっていけるのは、生計費を配偶者や親に頼っている主婦や学生アルバイトなどに限られよう。家計を支える一般の成人男子が被雇用者の場合、それではとてもやっていけないはずだ。
ではどうするか? ひとつは補助金を出すという方法がある。補助金でもって下がった人件費分を補ってやれば、被雇用者の給料は以前と同じレベルのままである。そのうえ損益分岐点はあいかわらず下がったままだから、企業としても利益を出すことは可能になる。だが、このような方法は、コミュニティビジネスとローカルビジネスの境界線上で、ほそぼそとやっていた企業に対して深刻な打撃を与えることになろう。しかもそれは正当な市場競争によらないいかにも不公平な打撃である。コミュニティビジネスを無理矢理創出した結果、ローカルビジネスをつぶしてしまったというのではもともこもない。それこそ、角を矯めて牛を殺す、ということになってしまうだろう。
それではコミュニティビジネスを創出するのはまったく不可能なのだろうか? 方法はある。それは地域通貨をからめることだ。具体的には円貨と地域通貨を両方組み合わせる形で流通させることである。こうすれば、企業はその商品力に応じて、どれだけ円貨を稼げるか市場による正当な評価を受けることになる。たとえばコミュニティ市場でしか通用しない商品の場合、必然的に円貨の割合は小さくなるだろう。反対にグローバル市場でも十分通用するだけの商品に対しては、円貨100%という値付けでもかまわないだろう。そして、中間のローカルビジネスレベルであれば、円貨50%+地域通貨50%といった割合になるはずだ。
ここに、HPデザインを外注したいA社があるとする。外注先を募集したところ最終的にB社とC社の二社に絞り込まれた。B社とC社が提供できるサービスは、いずれもまったく同じレベルである。あとは、どちらがより安い価格を提示できるか、という部分が決め手になる。それに対して、両社が提示してきた価格は、それぞれA社が8万円+2万cc、B社が10万円であった。ここでもしA社が2万ccの地域通貨をもっていたとしよう。その場合、A社は間違いなくB社を選ぶことになるだろう。
この例でわかるように、商取り引きをおこなう場合、地域通貨ネットワーク内での域内取引の方が、発注先(消費者側)にとって有利になる。また受注者(生産者側)にとっても、域外のライバル企業に対して地域通貨使用の分だけ優位性をもつことになる。
A社はX社からHP構築を100万円で受注した。しかし、A社だけでは力不足なので、A社が企画を、B社がデザインを、そしてC社がプログラム部分を担当する、という形で分担して仕事を進めることにした。通常ならば、B社に30万円、C社に30万円を外注費として支払い、A社のもとに残るのは、40万円だけである。ここでもし、外注費を地域通貨で支払ったらどうだろうか? A社には100万円まるまる残ることになる。もちろんA社はB社、C社にそれぞれ30万円、計60万円相当の地域通貨を提供する(すなわち労力を提供する)という負債は残るだろう。だが、円貨の60万円を獲得するのと、60万円相当の地域通貨を獲得するのと、A社にとってはどちらがより容易であろうか? いうまでもなく後者である。
この例でわかるように、域外企業から仕事を受注した場合、受注企業は地域通貨ネットワーク内で外注先を探した方が、域外企業に外注に出すよりも有利となる。
A社がX社からHP構築を100万円で受注したとしよう。通常ならば、A社に残る利益は外注先に支払った残りの40万円であった。ここで、仮に外注先への支払いをすべて地域通貨でまかなえるとしたらどうだろうか。A社は受注金額を40万円まで引き下げることが可能になるはずだ。なぜなら、A社は最終的に40万円さえ手元に残ればよいのだから。
この例からもわかるように、仕事を受注する場合、地域通貨参加企業は域外企業に対して価格競争力をもつことになる。
ここで協業のために必要な組織形態について考えてみよう。協業のための組織形態としては、「ピラミッド型」「アウトソーシング型」「プロジェクトチーム型」などが代表的である。ここでは、それぞれの組織形態における長所、短所を「短期的な利益動機」「長期的な利益動機」「ロイヤルティ(組織への忠誠心=対外的にはその組織のブランド力)」という視点から整理してみた。
このうち地域通貨はどのタイプに当てはまるのだろうか。じつはどれにもあてはまらない。しいていえば、ピラミッド型とプロジェクトチーム型の折衷型であり、それぞれが独立したメンバーが自主的に集合したゆるやかな組織体である。あえて名付ければアメーバ型組織といえよう。
ただBtoB型地域通貨は、域内取引からの短期利益を犠牲(内部貨幣化による外部貨幣の放棄)にすることで対外取引からの長期利益を期待するという意味では、ピラミッド型組織に似ているといえないこともない。それはまた(内部貨幣使用の副産物として)ネットワークへの忠誠心が高まるという意味からもいえるだろう。しかしそうした制約の中にあっても、個々のメンバーはあいかわらず独立性を保っているという点ではむしろプロジェクトチーム型に近い。
こうしてみてくるとBtoB型地域通貨というのは、個々の独立したメンバーを一定の枠組の中に組織化するための手段とみなせないこともない。その意味では、 BtoB型地域通貨はいわば擬似的な組織化のツールといえるだろう。
20世紀の資本主義を特徴づけた大量生産・大量消費型の経済システムは、モノの生産に最大の価値を見い出す工業資本主義であった。その時代における地域開発戦略は、工場の誘致からはじまった。新たに誘致された大工場は、雇用を生み出し、地域を豊かにする。さらにそこから地域へと移転される高度な技術は、新たな工場群を生み出し、地場産業を創出した。そして、そうした好循環を形成する上で重要な役割をになったのが、金融である。工業資本主義時代における主役は、モノであり、お金であったのだ。
一方、これからは知識や情報が価値を生む知識資本主義の時代といわれる。では、知識資本主義時代における地域開発戦略のトリガーとなるのは、一体なんだろうか。それは人材である。ユニークな知識や技術をもつ人材とのコラボレート(協業)は、企業に新たな付加価値をもたらす。と同時に人材と企業、人材と人材とのコラボレートはやがて新規事業を生み出す。そしてその新規事業が雇用を生み出すことになろう。そして、ここでの主役は、もはやモノやお金ではない。それは、人であり、情報(地域通貨)なのである。
全国的に景気が低迷する中、東北経済にも先のみえない閉塞感が漂っている。そして、そこには、地元企業の低迷→雇用の場(所得)の減少→QOLの低下→消費抑制→地元市場の縮小→地元企業の低迷という悪循環がみられる。
なぜこのような悪循環がつくられたのだろうか。そのトリガーとなったのは、グローバル経済化とそれがもたらすデフレ不況である。
われわれは、こうした悪循環を断ち切らなければならない。それもできれば悪循環を逆回転させ、好循環を創りださねばならない。ではどうするか。新しいトリガーの投入が必要だ。新しいトリガーとは何か。ここではマーケティング、協業支援、そしてマネーの域内循環の三つをあげたい。そして、こうしたトリガーを創り出す具体的な手法として、地域通貨の活用を提案したい。地域通貨はもともとマネーの域内循環をつくるための手法であるが、応用次第ではそれにとどまらない様々な効果が期待できる。上図は、そのあたりを整理したものである。
(続く)次回からはいよいよ『BASIC』の具体的な仕組みをご説明します。