前回に引き続き、墨田区の閑静な住宅街「東向島」のぶらり散歩をお届け致します(前回の記事はこちら)。
「明治通り」と「墨堤通り」が交差する交差点。
走りやすそうな道路です。
マンションとマンションの間に鎮座する「隅田川神社」が御座いました。
隅田川神社は、墨田区堤通にある神社。隅田川神社は、源頼朝挙兵の折の治承4年(1180)当地に到り、水神の霊験に感じて社殿を造営したと伝えらたとされます。
参道を歩いていきましょう。
墨堤通りの裏には「東白髭公園」があります。人も疎らですので森林浴を楽しみます。
テニスコートも御座います。ラケットでボールを前へ飛ばすことすら困難な私には縁がないでしょう。
かなり大きな公園です。
ここにもありました。葛飾北斎の浮世絵。雪景色の墨田河畔を描いた作品で、月の淀川、花の吉野と共に選ばれた三名所の一枚です。葛飾北斎の絵でウォークラリーをしても楽しそうです。
「隅田宿跡」がありました。
隅田川の東岸、白髭橋と水神大橋の間は防災エリアとして再開発され、屏風の高層団地と隅田川の間が白鬚東公園となっています。この場所は、隅田川を渡るに適した場所で、交通の要所として、平安時代の末頃には隅田宿が成立していたといわれています。治承4年(1180)に源頼朝が布陣したと伝わっており、元来は江戸氏など中世武士団の軍事拠点であったと考えられています。
「隅田川神社」にお参り致します。
「隅田川神社」は、この辺りの墨田郷の総鎮守として崇敬を集め、また当地が河川交通の要衝であったことから、特に船主や船頭などの水運業者らにも篤く尊崇され「水神社」「船霊社」とも称さました。
1733年(享保18)年5月28日、幕府は疫病死者の慰霊と悪病退散を祈願する目的で川開きの日に水神祭を斎行し、その際花火師・鍵屋六代目弥兵衛の仕切りで20発前後の花火を打ち上げたのが、現在の隅田川花火大会のルーツなんです。
東向島駅の北側の「玉ノ井いろは通り」から高架線を挟んで反対側に伸びているのが「大正通り」です。ここにも白髭橋方面に昔ながらも商店街が続いています。
「向島百花園」が見えました。
そう、東向島に来たのはこの庭園巡りをしたいがためなんです。庭園巡りを久しぶりに楽しみます!
お次は「【庭園】東京・東向島の「向島百花園」。江戸時代に文人墨客のサロンとして使われた花園でリフレッシュ!①」をお届けするのでお楽しみに!
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written by tamito0201(たみと)