新着記事:【介護職不要論】テクノロジーは障害という概念さえ終わらせるか?
「警告!と煽るように書いたのには実はわけがあります・・・。」
私は、リアルで介護福祉士養成校で教員をやっている者です。
世間ではまだ知られていないような介護の現状を知っている数少ない人間の1人です。
出典:https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00442872
この記事を読めば以下のことが理解できます。
①、日本に住む以上、最低限の「介護の知識」は必須となる理由
②、話題の人「科学者落合陽一氏」が予測する介護の仕事の未来像とは?
③、すでに始まっている介護のテクノロジー化の具体例について
介護人材が不足しているのはニュース等でなんとなく皆さんご理解されているかと思いますが、今後の見通しとしても実際問題かなり厳しい状況であります。
私が勤める介護福祉士の養成校におきましても、定員割れ状態を余儀なくされています。
さらには、日本人と外国人留学生の割合が1:1の状態となっており、日本に住む若者達の「介護職への不人気度」が浮き彫りになっている次第であります。
皆さんの大切な家族をどんな人に介護してもらいたいですか??
それは日本人でしょうか? それとも外国の方でしょうか?
私はベトナム人の方と一緒に仕事をしていたことがあるので、彼らのとても仕事熱心で気の優しい気質は理解しているつもりです。事実、彼らは介護現場のお年寄りからの信頼を集めてきています。
しかしながら、やはり「言葉の壁」や「文化の壁」というものが存在します。
お年よりは特別な頼みごとをしたいときは、必ず日本人介護職を選んで声をかけてきます。
それは、決してベトナム人である彼らの「努力が足りない」というわけではなく、「日本人」の職員の方が、自分の想いをきちんと理解してくれるだろう。というお年よりの感覚的な判断がそうさせているのだと思います。
私の持論を申し上げますと、「介護の仕事はなくなってしまった方が良い。」
極論ではありますが、そう思っていますし、心からそうなることを願っています。
え?介護の仕事がなくなったら誰がお年寄りの世話をするの?
という疑問の声が聴こえてきそうですが、テクノロジーの進化によって多かれ少なかれ、介護職の仕事の多くが、ロボットに代替されていくことが予想されます。
将来的には介護という概念そのものがなくなっていく可能性もあるかもしれません。
そもそも、みなさんは誰かの世話になりながら生きたいと思いますか??
私はそうは思いません。
あなたは、他人に局部を晒すことに抵抗はありませんか?
あなたは、他人に裸を晒し、全身を洗われることに抵抗はありませんか?
いくら年老いたとしても、できるかぎり最期まで、自分の人生は自分らしく、誰かの手を借りることなく、自分の力で生き抜いていきたい。
そう思うのが普通だと思います。
そして、それを可能にするのが「テクノロジー」です。
私はテクノロジーを積極的に介護の世界に取り入れていくことに対して、強い期待感を持っています。
だからこそ私は表題に掲げている「テクノロジー×介護」の可能性とその必要性についてこれから語ろうと思っているわけです。
①、日本に住む以上、最低限の「介護の知識」は必須となる理由
さて、少し悲観的なお話をします。
しかしながら、事実なので受け止めて頂ければ幸いです。
現在進行形で日本は人類が経験したことのないレベルの「超少子高齢社会」となっており、2025年には3人に1人が高齢者となります。
さらには、その高齢者のうち5人に1人(約700万人)が認知症を発症すると推測されています。
※厚労省作成:認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)より参照
これが、どのようなことを意味するのか想像できますでしょうか?
現在、すでに起こっている認知症高齢者の社会問題について列挙します。
1、徘徊により自宅がわからなくなり、行方不明となる。
2、家族による虐待や殺人事件。
3、車の運転による交通違反や事故
4、悪質な業者による消費者被害
5、単身での居住による孤独死
6、自宅がゴミ屋敷化
7、近隣トラブル ・・・etc
上記した7つ以外にも様々な問題が今もなお、起きつづけているわけです。
当然ながら、これは日本に住んでいる以上、他人事では済まされない問題であり、
これから介護に携わる人間でなくとも、必ず関わりを持つことになると思っておいた方が良いです。
例えば、通勤の途中で赤信号でガンガン車が通っているのに渡ろうとしちゃうおばあちゃんを見かけたり、買い物の清算場面で計算ができず立ち往生してしまうおじいちゃんを見かける機会が必ず増えてきます。
もし、あなたが日常的に車を運転するドライバーなら、これまで以上に慎重な運転が求められますし、あなたがレジ係なら、認知症の人に合わせた声かけをしながらうまく清算してもらえるように促す技術を身につける必要があるでしょう。
いずれにせよ、日本人のうち3人に1人が高齢者となる時代に向けて、心の準備が必要なのは言うまでもありません。
また、ご自身の家族や親しい知人が介護状態になる可能性もあります。
要介護状態となる日。
それは、ある日突然やってきます。
上記のグラフから、さまざまな要因によって要介護状態になることがお分かり頂けるかと思います。
特に、脳血管疾患。いわゆる脳卒中などにおいては、ある日突然起こるものですし、麻痺などの後遺症が残りやすいため、家族は急な対応に迫られるわけです。
以上のことから最低限の「介護の知識」は持っておいて絶対に損はないです。
ちなみに、介護に関する相談窓口はどこかご存知ですか??
役所じゃないですよ??
ここではこれだけは覚えておいてもらいたいと思います。
地域包括支援センターは、各自治体に設置されているので、皆さんがお住まいの自宅近所にきっとあるはずです。
ご家族の介護が必要になった場合は、とにかく地域包括支援センターに駆け込みましょう!
相談は無料、社会福祉士や主任ケアマネ、保健師などの専門職が対応してくれます。
いまや時の人となっている落合陽一氏をご存知でしょうか?
ALISを利用されている方はきっと情報に敏感な方ばかりだと思うので、知らない方の方が少ないかも知れませんが、、、
落合陽一氏とホリエモンこと堀江貴文氏の著書「10年後の仕事図鑑」で介護の仕事の未来像についてこう言及されていました。
「介護職は、サービスのあり方が変わる」と。
要は、介護職は「人がやるべき仕事」のみを行なうこととなり、そういう意味では介護職の業務は減る。そして、介護の仕事は最適化され、「対話」など、人間にしかできない仕事に対しての価値が総じて高くなるだろう。とのことでした。
事実、落合陽一氏は自ら「遠隔操縦型車いす」の開発と導入を進めており、介護業界の変革に大きなインパクトを与える存在になるのではと私自身、非常に期待感を強めております。
彼が開発している「Telewheelchair(テレウィールチェアー)」という車いすは、映像を転送して遠隔操作したり、障害物を検知して自動で停止する機能を持つ。この車いすを活用することで、介護職が割いてきたリソースをテクノロジーが担い、介護職は本当に必要なケアに重点を置くことができるというわけです。現段階においては、実用まで結びつけることは難しくとも、各現場の声を聞きながら導入に向けて、一歩ずつ進めていってもらいたいところです。
もちろん、介護のプロとしてこの車いすに対して、いくつかの懸念点やつっこみどころが浮かんでは来ますが、ここでは言及しないようにしておきます。
ある日、こんなニュースが飛び込んできました。
それは、厚労省が「AIによるケアマネジャーのケアプラン作成支援」を後押ししている。というものです。
厚生労働省は今年度の老人保健健康増進等事業(以下、老健事業)でAIケアプランの実態調査を行う。同省では2016年より自立支援を促進するAIケアプランの調査を実施。初年度はブラックボックス型AIケアプラン、17年はホワイトボックス型AIケアプランについて調査結果が得られた。自立支援の定義の確立や入力する情報のデータ化の手間などの課題が挙げられていた。http://www.care-news.jp/news/caremana/post_1445.html
AIがとうとう人の生活にさえも踏みこんでくる時代に来たのかと思うと、少し怖いような気もしますが、実態としては非常に合理的なものだと個人的には思っています。
ケアプランとは?
介護サービス計画のことを言います。ケアプランには介護保険で受けられるサービスの内容や日時などが明記されます。
介護サービスを受けるに当たり、利用者は介護認定を受け、ケアマネジャーにケアプランを作成してもらう必要があります。(厳密には家族や自分でも作成できます)
私が知る限り、ケアマネが作成する「ケアプランの質」には、かなり個人差があって、ケアマネの力量によって利用者のニーズをうまく汲み取れていなかったり、不必要なサービスが盛り込まれているケースが正直言ってかなりあります。
ケアマネの知識の補完や、判断の精度を高めるためにAIを活用するというのは、非常に理にかなっていると個人的には考えており、アメリカでは弁護士の補佐役としてAIが大活躍しているようなので、これから日本でもAIがあらゆる分野において頭角を現してくることは間違いありません。
以上、いかがでしたでしょうか?
ALISで介護分野の記事を書くことにやや抵抗があったのですが、色んなジャンルの情報があった方がおもしろいと思い、思い切って執筆させて頂きました。
介護現場で働く人達や、教員の先生たちに、介護がテクノロジーに代替されていく未来について話しても到底理解はされません。
介護は必ず人間の手で行なわれるべきものであり、それにこそ価値があると思い込んでしまっているのです。
もちろん私自身、人が人を支えることのすばらしさを否定しているわけではなく、人が人を支え、助け合う社会というものはこれからも普遍的に続いていくものだと考えています。
人類は医療の発展によって、寿命を大きく伸ばすことに成功しました。
しかし、その伸ばされた寿命をうまく「幸せ」に結びつけることが出来ていません。
我々、日本人はきっと試されているのです。
この未曾有の超少子高齢社会をどう乗りこえていくのか。
医療によって無尽蔵に引き伸ばされた寿命は言い換えると、要介護状態に陥ってもなかなか死ねない。ということを意味します。
私は、要介護状態になった親を虐待したり、見放す子供をたくさん目の当たりにしてきました。
家族の心理として、親が要介護状態になったら、認知症になったら、まるで親が親でなくなってしまうような感覚に陥ることがしばしばあります。
家族の絆や、つながりさえも奪いかねないのが、介護の現実であり、長寿国の弊害なのです。
テクノロジーの進化によって「生き方の選択肢」の拡張が期待されます。
義手であっても、テクノロジーの支えによってこんなに綺麗な音色を奏でることが出来るのです。
それは大いに歓迎すべきことであり、介護に携わる人間のみならず、日本に住むすべての人が柔軟にそれを受け止め、推進力・発信力を強めていくべきだと考えています。
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長文にお付き合い頂きましてありがとうございました。
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