私の苗字は父方の家系からきているのですが、実はそのルーツは広島の小さい島にあります。
祖父が若かったころから東京に出てきてしまったので、父は根っからの東京っ子なのですが、父方の祖父母は東京に全く似合わぬ広島弁です。笑
そして、私も何度かその島に行き、海で遊んだりみかんを送ってもらったりしています。
今日、なぜそんな話をするのかと言えばもちろん戦争のことです。
私には戦争のリアルな記憶はありません。
生まれたころから平成で、しいて言うならアフガニスタン戦争の映像をテレビ越しに見たのが強く残っているというぐらいです。もちろん、歴史として学んではいましたが。
ただ、その祖父母の両親は皆、原爆の犠牲者だったため、どこか関係のある出来事としては認識していました。
「東京のおじいちゃんおばあちゃんのお父さんお母さんは、あの原爆で亡くなったんだよ」
子どもの頃には、テレビの特集が少しでもうつればよく言われたものです。でも、ふ~んそっかぁぐらいの印象しかありませんでした。ふつーの子どもの感想です。
ところが、その印象が一変した出来事がありました。
大学最後の夏休み、研究室もお盆休みで時間に余裕があったころ、ふと広島でも行こうかなと思いました。
漁師町の酒飲みの家系なので(母方は全くの下戸なのですが笑)、二十歳を超えて酒でも飲み交わしたら向こうの親戚も喜ぶかな、なんて孝行な気持ち半分、ちょっと遠出して旅行気分でもという気持ち半分といった感じでした。
それを伝えると、年の割に行動派のおじいちゃんが当たり前のようについてきてくれました。土地勘もないので、助かりました。
「ちょっとみんなに挨拶にいこう」
そう言って連れていってくれたのは、平和記念公園でした。
蒸し暑い新幹線のホーム。逃げるようにタクシーに乗りました。
祖父が同郷とわかると必要以上に慣れ慣れしくしゃべりかけてくるタクシー運転手のぶっきらぼうな運転から解放されると、少し分厚い夏らしい雲が絵になる青空と公園が爽やかに感じました。
人々がおしゃべりしながら歩き、すれ違い、なんら変わりのない公園。
少し歩いていくと、誰もが知っているあの崩れかけたドームを背景にした、大きなアーチにたどり着きました。
そして、ゆらゆら揺れる灯。
その風景自体にも何かを感じたのですが、僕が一番印象的だったのは、その前で手を合わせる祖父の背中でした。
その光景というよりも、感覚で覚えている気がします。
あぁ、ここで、
何十年か前かのここで、
何かが起こったんだな。
そんな、感覚でした。
僕には戦争のリアルな記憶はありません。
だけど確かに、ここに僕のルーツはあって、僕の身体の中を流れる血みたいなもののDNAみたいなものの中に記憶が刻まれていて、
今ここにいるんだなぁ、と感じました。
どちらかというと、合理主義で理系よりの考えなので、霊やらや先祖やらには執着しすぎないことを矜持にしているのですが、
私たちは確かに何かを受け取っていて、つなげている存在なんだろうなと思うことがあります。
あのとき祖父が手を合わせて何を想っていたんだろう、と考えると全く答えが出ないのですが、そのときの感覚だけが何かを訴えてくるんです。不思議ですよね。
僕は生きて、今ここにいるよ。また来るね。
そんな挨拶を、またしに行きたいなと思っています。
それが私なりの、自分のルーツへの答えです。
てらけん