時計を好きになりたいすべての人のために。
『腕時計ロマンチシズム概論』絶賛公開中!※インスタグラムもやってます。
❖❖❖❖❖コラム「時計✕〇〇」論❖❖❖❖❖
時計を時計としてだけでなく、他の何かと組み合わせて考えてみましょう。誰かが時計を腕にしようと思わなければ、僕は生まれなかったかもしれないのだから。
この考え方の違いを『ポジティブシンキング』と言いますね。
今日は、時計の世界においてこれを展開してみましょう!
※画像は無関係です。スイス国際時計博物館で撮影してきたアンティークのユリスナルダン(ulyssenardin)です。ポジティブな感じがして。
※クソくだらない記事になることが予想されます。人生が限られた時間であるということを認識している懸命な皆様におかれましては、すぐさまこの文章から目を離して勉強や恋や仕事や遊びに打ち込み、なりたい自分を実現し、そんな満ち足りて、でももう一歩先を目指す日々の中でふと気になった時計のことが忘れられずに「人生をともにする相棒かも」と信じてその時計を腕につけて帰った日、たまたまスマホでいじっていたらそこに表示されたのはかの邪知暴虐な『腕時計ロマンチシズム概論』だった。メロスは激怒した。
さぁ、まずは冒頭の有名な言い回しを時計風に言い直してみましょう。
◆「夜寝る前に、パワーリザーブがあと3時間しか残っていないのか、あるいはまだ3時間も駆動し続けるのか。いや、むしろ翌朝ゼンマイを巻く楽しみを神様から与えられたのか。どう考えるか。」
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このポイントは、マイナス思考にさよならを告げた勢いで、さらに高次の喜びを手元に手繰り寄せている点ですね。この考え方ができるひとは、間違いなくポジティブです。そうありたいものです。
次にありがちなのは、大切にしていた時計をぶつけて傷つけてしまった場合。こんな時、どう考えれば良いのか考えましょう。
◆誤「大切な時計が傷付いてしまった…もうきれいにならないかも…」
◆正「この時計と歩む時間がまた1つ刻まれた。何年後かに見た時、この傷を誇らしく思えるように成長しよう。」
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こうですね完全に。「傷」という一見すると「ネガティブ」な要素を、別の光の当て方によってむしろかけがえのない宝物のように描いています。おそらくハッピーな時計ライフが送れることでしょう。
有名な学説「ジェームズ・ランゲ説」をご存知ですか?時計コラムのくせに、このランゲはランゲアンドゾーネではありません。すいません。これは「人は幸せだから笑うのではなくて、笑うから幸せなのだ」という学説です。これを真実味を帯びて言い換えると、こう。
◆「人は幸せだから笑うのではなくて、笑うから幸せなのだ、とは思うけど、腕時計を眺めたらもっとハッピーじゃない?マジ超ウケるんですけど!」
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笑顔とそれがもたらす生物学的なホルモン分泌・生理反応を超えて、時計から放出される未知なるポジティブハッピー物質の効能を哲学的な文脈も踏まえて完璧に表現しています。我ながらあっぱれです。
アメリカの詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローはこう言いました。「たとえ空一面が雲に覆われていたとしても、太陽はその向こうでいつも輝いている。」確かにそのとおりです。なかなか良いことを言いますこの人。でも、こうしたらもっと良くなっちゃうかもしれない。
◆「たとえムーブメント全体が文字盤に覆われていたとしても、テンプはその向こうでいつも反復運動を繰り返している。」
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この名言の優れているところは、見えないところにこそモノゴトのキーとなる要素があるのだという世界の本質を言い得ている点であり、かつ文学的な側面においては、「あー、ほんとは文字盤スケルトンとかオープンハートとか、最低でもシースルーバック になってて中の機械が見れる時計が良かったのに、プレゼントでもらったやつは完全にクローズドだわぁ…」という登場人物(それは、どこかの世界のいつかのあなたかもしれない。)に対する慈しみと悦びのストーリーとして成立している点です。村上春樹辺りが『1Q84』辺りの作品の一節として書いていても全くおかしくないセンテンスです。自分へのリスペクトが止まりません。
それはもうどうしようもないので、これからも世界の中心として、我が人生のかけがえのない主人公として、関わる人も時計もみな幸せにしながら、『腕時計ロマンチシズム概論』を「"時計素人の作ったウェブサイト界"のパテックフィリップ」として花開かせていく所存です。まだオープンして間もないですが、何卒今後ともよろしくお願い申し上げます!