初受注に湧いたワイン氏とその愉快な社員たち
それから月日が経ち、店長に呼び出され社用車を選ばせてもらう事になったワイン氏。
なぜか「与信」という言葉に嫌な予感をさせていた・・・
社用車
車両は会社が購入する場合がほとんどであるが、車両管理経費削減などの目的でレンタカーや長期リース車両を利用する会社も増えている。車は営業社員用の軽自動車から重役が乗る専属運転手付高級乗用車までさまざま。
引用↓
・基本的には会社が購入する車両が社用車である。
「与信」という言葉が気になりつつも、店長の言う事に一切の疑いを持たず車を選び出した。
完全に社畜として飼いならされていた私はこの与信の意味をこの後思い知らされた。
M店長「おう、ワイン君。バッチリや与信OKやから、金利1%で社割にしとくからローン組んで買いなさい。ええか?」
自分「え??自分で買うんですか?社用車ですよね?」
M店長「何を言ってんねん。私用にも使うんやから自分で買うに決まってるやないか!はっはは!」
自分「はぁはあ〜(苦笑)」
これはこの業界では当たり前とされている習慣だが、通常は会社がリースなどの方法で購入し、休みは自家用車を使う事を徹底されている会社もあると思うが私の勤務する会社は違った。
自家用車として半強制的に購入させられ、新入社員で給料も少ない中いきなり数百万の借金を抱える。
この時の年収は200万円〜250万円くらいだったと記憶している。
その約半分以上の借金を背負わされた。
何もわかっていない新人は確実に餌食になっている。そして会社の販売台数ノルマの一部となる。
この自家用車兼社用車を購入後、保険の資格試験を受けていた為、合格通知がきた。これで私も自動車保険を売ることが出来る様になりホッとしていたのを覚えている。
実はこの自動車保険が営業マンとしての生命線でもあるのだと研修時に教官(研修担当人事部)から教わっていた。
理由は簡単で年に一回保険の手数料が収入としてお給料として振り込まれるからだ。ベテランの営業マンにもなるとこの保険の手数料だけで月10万〜20万は稼ぎ出す、それを聞いた時それだけで車売らなくても飯が食えると思っていた。
しかし現実は・・・甘くない。
そんな簡単には保険には入ってくれないのだ。当時ネット保険が流行りだしており、ディーラーで入る保険は大手の保険が多く高い商品が多かった。その為良く保険会社の営業マンが自動車保険を売って欲しいと何の工夫もない営業に来ていた。
それから毎月販売台数のノルマに追われる日々。
しかし2006年になって香織先輩の異変が起きていた。
去年は飛ぶ鳥を落とす勢いで年間50台以上を販売し、大忙しだったのに2006年になってから数カ月思うように台数が伸びない。
周りはスランプだと言っているのだが、一人だけ冷静に分析している人がいた。
それが私が一番尊敬していた大川係長だ。
大川係長「ワイン。なんで香織が売れなくなって来たかわかるか?」
自分「スランプですか?」
大川係長「いや、あいつはそれこそ新人の時には真面目にしていた事を2年目になってからしないようになったんや。何やと思う?」
自分「ええ!!なんやろ・・・全くわかりません・・」
大川係長「客を選び出したんや。最初から入ってくる車が他社でないとお迎えに行かなくなった。ワインはどんな車が来てもお迎えするやろ?そのおかげで※店頭1発する可能性も上がって数字に繋がっているわけや。それと契約後のフォローや後追いに行かなくなった。証拠に点検や車検、保険の数字の継続率が落ちてる。これはしっかりフォローしていないと上がらない数字やから気をつけろよ。」
自分「あ、はい。ありがとうございます。」
※店頭1発:初めて来店したお客様にその日に店頭で即決で契約していただく事
この時私は大川係長には全て見透かされる。絶対敵わないと思った。当時大川係長は月にコンスタントに5〜8台を販売し、安定していた。それは初心を忘れず、傲らず、実直に仕事をしている証拠で、やはり森口先輩が尊敬するだけあるなぁと生意気にも思っていた。
そしてある日、納車で出かけようと事務所をでた。すると車の窓ガラス越しに土居課長と香織先輩が浮かない顔で店頭で接客している姿を見つけた。
自家用車と社用車を兼務で自己負担させられる環境にいるワイン氏。
貧乏から更にど貧乏への階段を降り始めた。
そして大川係長の鋭い観察から香織先輩の不調の原因を探る中、香織先輩の浮かない顔が目に入る。
そんな香織先輩を気にしながらワイン氏は納車に向かう・・・
第9章へ続く