
こんにちは。
今日は天気が良かったので、外出ついでに日比谷公園まで足を伸ばしてみました。目当ては通貨の起源とも言える、ヤップ島の石貨です。
暗号通貨を知っている方ならご存知かもしれませんが、このヤップ島の石貨は太古のお金をイメージする時にステレオタイプに想起される、石で作られたドーナツ型のお金です。
日比谷公園とこの石貨には、じつは歴史の深いちょっとした繋がりがあります。
今回はそんなお話を書きます。興味深い話なので、少し長めですがお付き合いください。
西太平洋上のミクロネシア連邦領・ヤップ島は、古代から受け継がれる巨大な石貨で有名です。
通常の貨幣とは異なり、冠婚葬祭時に贈られる儀礼的贈答品として用いられますが、この石貨は明確に価値を持ちます。これは島民の間における共通認識であり、島民は石貨の所有権のやり取りを通じて価値のやり取りを行います。
では、この石貨の価値はどこから生み出されるのでしょうか?
じつは石貨を作るための石は、ヤップ島では産出しません。人々は、はるか500km離れたパラオまで船団を出し、現地人と交渉して石を採掘し、石斧などで何ヶ月もかけて石貨を切り出し、それをいかだに載せて持ち帰ったのです。
現代のようにエンジンなどはありません。多くの人命も失われました。このような多大な労力を費やして、石貨はヤップ島にもたらされたのです。
そして、その労力が大きければ大きいほど石貨は価値を持つこととなりました
島民には皆、石貨を作りヤップ島まで持ち帰る労力は非常に大きいという共通認識があります。石貨の価値はその共通認識と、多大な労力を投下したという厳然たる事実によって担保されているのです。
そう、これはビットコインに用いられるプルーフ・オブ・ワークの論理そのものです。
第一次世界大戦後、かつてドイツ領だったヤップ島は、サイパンやパラオを含む南洋群島の一部として日本の委任統治領となりました。
そして大正14年(1924年)、当時のヤップ島支庁長から寄贈された1つの石貨が、じつは日比谷公園に展示されているのです。
前置きが長くなりました。せっかく身近にこのような歴史を持つ石貨があるのでひと目見てみようと考え、今日は日比谷公園へ散歩しました。
天気も良く、今日の日比谷公園は気持ちよく散歩できました。
ビアガーデンが催されています。奥へ進んでゆくと..
遊歩道の脇に、無造作に石貨が置かれていました。
重厚たる存在感があります。石貨には触ることもできるのですが、とても一人では動かせそうにありません。これを500km離れた島から切り出し、人力で持ち運ぶ苦労はいかほどのものだったでしょうか。
この石貨は大正13年時点で1000円ほどの価値を持っていたとのこと。当時の1円の価値は現在の600倍程度(参考)なので、単純計算で現在の60万円ほどの価値があったこととなります。現地の生活水準や消費者の肌感覚などを考慮すると、額面よりもっと大きな価値をもっていたことでしょう。
国家や宗教、イデオロギー等と同じように、通貨や価値といった概念もまた人々の間で共有される幻想をベースとして成立しています。この通貨には価値があるという幻想がなければ通貨は通貨たり得ず、価値を持ち得ないのです。
その意味で通貨や価値は自己言及的であり、幻想への立脚はある種、蠱惑的な吸引力を持ちます。
太古の昔にはるか海の彼方へと人々を駆り立てた衝動と、暗号通貨の不思議な魅力に惹かれる現代の我々。それは人の心の話という意味で、いわば起源を一つとするものなのかもしれません。
池の畔で一枚。何を語りかけているのでしょうね。











