私が勤めている会社には「放送で間違いやすい言葉」を集めた本があります。そういうのが本の形になっているかどうかはともかくとして、大体どこの放送局でも何らかの形でまとめたものを作っているはずです。
ウチの場合はそれが200ページを超える大著になっていて、全社員に配られています。実際にテレビやラジオに出演して喋る人、あるいはそのための原稿を書いたりチェックしたりする人だけではなく全社員に配られるのです。
で、私の場合は自分で喋る人でも原稿を書く人でもありませんが、まあ、普段からこんなことばっかり書いているもんだから、言葉に関しては割合自信があったりするわけです。
しかし、それでもこの本を読んでいると、「え、そうだったのか」という事例に結構ぶつかります。
もちろん、この手の本は言葉に対して非常に規範的な本です。つまり、世間が「そんなこと言ったって、みんなそういう風に使ってるじゃないですか」と言う表現に対しても頑固に「いや、その表現は間違いです」と言い続けている本です。
それはそれで良いと思います。言葉に対してそういう立場で臨む人や団体が一方にあって、その対極に次々と新しい(言い方を変えると「崩れた」)表現を導入する人たちがいて、その流れの拮抗するところに現在の言葉の立ち位置があるのだと思います。
それに「頑固に『いや、その表現は間違いです』と言い続けている」と言っても決して未来永劫万世不変なわけではありません。時と世相の移り変わりに応じて少しずつ変わってきているのです。
現にこの本に於ても、かつては誤りとされていた「さかて(逆手)に取る」(本来は「ぎゃくてに取る」)という読み方が最新の版では一応認められています(私はまだしっくりと来ないのですが…)。
さて、ここから下は、一応以上のようなことをご理解の上でお読みいただきたいのですが、私がこの本を読んで「知らなかった」「間違えて憶えていた」「曖昧だった」という表現を集めてみました。順不同です。
「なるほど」感が強かった例として最初に挙げるのは、
【誤】懲役10年の実刑判決 → 【正】懲役10年の判決
解ります? これは社会部記者の経験でもないと無理ですね。
実刑判決というのは執行猶予が付かなかった判決で、執行猶予が付くのは懲役3年以下の場合に限られるため、懲役10年なら実刑判決に決まっており、わざわざ「実刑」という表現を加えてはならない。
ふーん、なるほどねえ。
ま、こういう専門用語系は置いといて、一般的な言葉の例を並べますと、まず漢字の読み方で、
【誤】しゅっせい → 【正】しゅっしょう(出生)
ただし、「出生の秘密」は「しゅっせいのひみつ」も可
これ、そう言われるとなんか自信がありません。「しゅっせい」「しゅっしょう」両方の読み方があるという意識はありましたが、「出生率」を「しゅっせいりつ」と読んではいけないと言われるとひょっとしたら読んだことがあるかも、という気がします。
同じような例で、
【誤】おいぜに → 【正】おいせん(追い銭)
【誤】かちうん → 【正】しょううん(勝運)
【誤】せさく → 【正】しさく(施策)
【誤】たしさいさい → 【正】たしせいせい(多士済々)
【誤】なかおしがち → 【正】ちゅうおしがち(中押し勝ち)
【誤】のべなわ → 【正】はえなわ(延縄)
【誤】そうこうを崩す → 【正】そうごう(相好)を崩す
「施行」は「しこう」、「施工」は「せこう」というのはよく出てくる例で脳裏にこびりついているのですが、「施策」は時々「せさく」と読んでしまっていたかもしれません。
それから野球で中盤に追加点を取った場合は「なかおし」で良いのですが、「中押し勝ち」となるとこれは囲碁用語で「ちゅうおし」と読むのだそうです。意味は「既に勝敗が明らかなので最後まで打ち終わらずに勝ちとすること」。
あと、「延縄」なんて、そりゃ知らんわなあ。よく「はえなわ漁船」って聞くけど、はあ、こんな字書くんですか、って感じ。
「相好」は完全に「そうこう」だと思ってました。もっとも MS-IME では「そうこう」でも「そうごう」でも変換してくれるので、「そうこう」も早晩認められるのでしょうが…。
漢字がらみで言うと、今度は読み方ではなく書き方で、
【誤】栄養師 → 【正】栄養士
【誤】看護士 → 【正】看護師
資格としては「看護師」。「看護婦」は本人が承諾すれば使っても良い。
【誤】保育師 → 【正】保育士
資格としては「保育士」。本人が女性で了解すれば「保母」も可。
男性の場合も本人が了解すれば「保父」も可。
【誤】保健士 → 【正】保健師
資格としては「保健師」。「保険婦」は本人が承諾すれば使っても良い。
なんとかなりませんかねえ、このややこしいの。でも、正式な資格名である限りテレビではその通りに表記する必要があります。「士」を女性に使うことに抵抗がある人もいるかもしれませんが、資格名がそうなっているので仕方がありません。
従来「士」は男性にしか使われなかった漢字ですが、それはさまざまな職業を男性が独占している社会であったからです。社会が変われば漢字が変わってくるのも自然なことなのでしょう。
こんなのもあります。
【誤】幼稚園の保母 → 【正】幼稚園の教諭
「保母」は保育所などの「先生」で、正式な資格名としては上にある「保育士」。幼稚園の「先生」は教諭なのだそうです。むむ、結構ややこしい。
あと外国語/外来語の読みで、
【誤】ジャガード地 → 【正】ジャカード地
【誤】ベルトコンベア → 【正】ベルトコンベヤー
アボガドではなくてアボカド、ギブスではなくてギプス、ジャンバーではなくてジャンパー、ダックスフンドではなくダックスフント、トリニダードトバコではなくトリニダードトバゴ──などは知ってましたが、この2つはちょっと怪しかったです。
jacquard、belt conveyor などちゃんと原語のスペリングをチェックせよということですね。
さて、あとは表現上の誤りですが、私としては結構驚いたものがたくさんあります。
【誤】蛙の子は蛙
いや、この表現自体が誤りと言うのではありません。ただ、よく間違った局面で使用されているということ。私もそうだったのですが、褒め言葉として使っていませんか?
これは本来「凡人の子は凡人」という意味なのだそうです。褒めているつもりで気を悪くされていたかもしれません。
【誤】いただいた本が参考になりました → 【正】いただいた本で助かりました
差し出すほうが「ご参考までに」と言うのは良いのですが、教えや手助けを受けたほうが「参考になりました」と言うのはちょっと失礼なのだそうです。うーん、なるほど、落ち着いて考えると確かにそうなんですが、気軽にこんな表現使ってました。
【誤】車でのご来場はご遠慮ください → 【正】ご来場は車ではなく電車、バスをご利用ください
「遠慮」は本来自分を制する言葉であり、相手に対して「遠慮しろ」と言うのは無礼なのだそうです。これもなるほどそう言われれば、という表現なのですが、上の「参考になりました」ともども、もうどうしようもなく広まってしまっているので、そのうち誰も間違いだとは言わなくなるでしょう。
さて、そろそろ終盤ですが、この本にはさすがに大阪の局だけあって京都弁についての正誤表まで用意されており、「大丸京都店」は「きょうとてん」ではなく「きょうとみせ」と読むといったようなことまで載っています。
私がこのサイトでも書いた「はんなり」についても言及があります。「はんなり」は「しなやかなさま」ではなく「上品で明るく晴れやかなさま。色合いについて言うことが多い」とあります。これは世間でかなり多くの人が間違って憶えている例です。
ところが私にも間違って理解している表現があって、他ならぬ私自身がびっくりしました。
【誤】ほっこり
私は「気分がほぐれるさま」の意味で使っていました。「こんなときに熱いお茶でも飲むとほっこりするよね」なんて…。
ところが本当は「作業が完了したが思ったより手間取り、気分的に疲れたときに使う。『ほっこり』が高じると『くたびれ』『しんどい』になる」のだそうで、これは全然知りませんでした。
最後に、これも知らなくて、読んでちょっと笑ってしまった例を1つ。「重複表現」の項目に挙げられていたものです。
【誤】チゲ鍋 → 【正】チゲ
「チゲ」は朝鮮語で「鍋」のこと。
ちげーよ、ってか(笑)。
「言葉」は深くて面白いですね。
【追記】
上記の「ほっこり」に関して新しい情報がありました。
これは twitter 上で「え、今まで『ほっこり』の意味を間違って使っていたのか!」というつぶやきがあり、それに呼応して調べてくれた人からのリツイートで明らかになったのですが、要は「ほっこり」が京都弁だと思い込んでいたのが間違いであったようです。
京都では確かに「ほっこりする」は「疲れる」の意かもしれません。恐らく「使い方が間違ってますよ」とアピールしてこられるのも京都の方なのでしょう。
しかし、京都弁ではなく、古い江戸の書物に別の意味の出典があったのです。具体的に言うと滑稽本『続膝栗毛』の中に「ほっこりと息つきたいが」という表現があり、このことがちゃんと辞書に載っていて「ほっとしたさま」と解説されているのだそうです。
となると我が社のマニュアル本も早とちりをしたようです。いやはや、言葉が間違いかどうかを吟味しだすと本当に深い穴に嵌ってしまうということの証明かもしれません。では、また。