最近よく思うのは、外来語が英語由来のものばかりになってきたなということです。
昔は医学用語ならドイツ語、哲学ならドイツ語かフランス語、ファッションや芸術ならフランス語、社会主義関連ならロシア語などと、結構いろんな国の言葉を分けて使っていた印象があります。
もっと遡ると、江戸時代に入ってきた言葉はオランダ語かポルトガル語に限られていたわけで、それから歴史を追うごとに、いろんな国から、いろんな国が得意とするいろんな分野の言葉が入ってきたのです。
そして、そういう風に棲み分けた形で、ある種バランスが取れていたのです。それがいつの間にか英語一辺倒になってきた気がします。
特に減ったなあと思うのがフランス語です。私の一回り上の人たちは、インテリの象徴のごとくフランス語由来の外来語を使いまくっていた記憶があります。
例えば、ルサンチマンとかレゾンデートルとか、そういう言葉を聞いて私は「何、それ?」と思いながら一方で「なんかカッコいいなあ」と思ったのでした。
クーデターもフランス語です。政治的な、特に急進主義の言葉として、日本に入ってきたものも多かったのではないでしょうか。
フランス語というのはそういう風にして「かぶれる」ための言葉のようなところがあったのではないかと思います。
そう、昔は今ほど米国一辺倒ではありませんでした。フランスは米英と並ぶ、あるいは米英を凌ぐ先進国でした。特に文化の面では。
映画も、今はアメリカ、それもハリウッドのものばかりが上映されていますが、私が中学生くらいのころにはフランス映画を観る環境がかなり整っていたように思います。
グランプリとかフィナーレとか、プレミアとかヌーベルバーグとかいう外来語は、そういう環境の中で憶えたのでした。
映画だけでなく、美術、いや芸術全般でもフランスの優位は明らかでした。だからこそ、アールヌーボーとかアールデコとか、オマージュとかコラージュとか、数多くのフランス語由来の言葉がたくさん聞かれました。
映画の力もあって、日本人の恋愛の先生もフランスでした。だから、フィアンセとランデブーしてアベックでバカンスに出かけたりしたものです(笑)
そして、ファッションもフランスの独壇場でした。
オートクチュールとかプレタポルテとか、オーデコロンとかオードトワレとか、コサージュとかブーケとか、いや、もっと身近な言葉でブティックとかアンサンブル、ブラウス、シュミーズ、ブラジャー、ペチコートなどと枚挙に暇がありません。
料理もまたフランスが第一人者でしたから、グルメとかアラカルトとかアラモードとかオードブルといった一般的な名詞から、カフェオレ、シャンパン、フォンドボー、クロワッサン、ヴィシソワーズなどたくさんの言葉が日本に輸入されました。
ただ、料理については、1990年前後のエスニック・ブーム以来、各国からの外来語が入り乱れているように思います。当然イタリア料理にはイタリア語の、スペイン料理にはスペイン語の、韓国料理には朝鮮語の、タイ料理にはタイ語の外来語があります。
今や料理はあまりにグローバルに広がりすぎて、どこのものだか分からなくなってきました。例えばバーニャカウダで何語由来か分かります?(正解はイタリアのピエモント語だそうです)。
スターバックスとともにカフェラテが日本に入ってきた時に、私はそれがカフェオレとどこが違うのか大いに悩みました。
一方がイタリア語、他方がフランス語ですが、英語に直すといずれも coffee with milk なんだそうで、なんだ同じじゃないか、だったらカフェオレでいいじゃないか、と思ったら、エスプレッソ(これも当然イタリア語)を使ったらカフェラテなのだと言われて驚きました(でも、スターバックスはイタリアからではなくアメリカから日本に来たんですけどw)。
フランスはそんな風にして、次第に日本での牙城を追われて行ったのではないでしょうか?
こうして考えてみると、冒頭で「外来語が英語由来のものばかりになってきた」と書きましたが、必ずしもそうではなく、英語由来のものが増える一方で、様々な国から新しい言葉が入ってきています。
しかし、そんな中で、フランス語由来のものは確実に減っているように思うのです(ロシア語由来のものも間違いなく減っているでしょうが)。
思えばシャンソンもフレンチ・ポップス(英語になってる!)もあまり聴かれなくなり、トワ・エ・モアやル・クプルなど、フランス語のグループ名も目にしなくなってきました。
EU になったからといってフランスが消えたわけではありません。でも、私たちの心の中のフランスは一体どこに行ってしまったのでしょう。