どんな外国語にも日本語に訳しにくい単語があります。それはひょっとすると2つの国の文化の違いを物語るものである可能性もあるので、私はそういう単語を探すのが大好きです。
と言っても、私が多少とも知っているのは英語だけです。
英語で昔から言われている訳しにくい単語に miss があります。そう、I miss you の動詞 miss です。
英語の授業でこの動詞は「~がいなくて淋しい」と訳せと教わって、なんで1単語がそんなに長い訳になるのか、と言うより、もう少し短く訳しようがないのか、と不思議に思いました。
そして、最近あらためてこれも訳しにくいなあと思ったものに share という動詞があります。これは近年日本語の文脈の中にも外来語として自然に取り入れられるようになってきた単語です。
share の基本的な訳語は「共有する」です。「共有」とは「共同所有です」。もう少しこなれた、やまと言葉の訳を当てはめるとしたら「分け合う」でしょう。
若いころに、どこだったか忘れてしまいましたが、海外のレストランで、ある料理をひとつだけ注文したら、ウェイターに「シェアするのか?」と訊かれて、なるほどこういう時に share って言うのかと感心した憶えがあります。
つまり、この場合の share は「共有する」という訳では全然ダメで、「一緒に食べる」または「分け合って食べる」です。
「共有」と「分け合う」はどう違うかといえば、大雑把に言ってしまうと、切り分けられるものは分け合う、切り分けられないものは共同で所有権または使用権を保持する、つまり、共有することになります。
同じシェアでも、例えばルーム・シェアと言う場合は共有ということになるのでしょう。
ところで、このシェアという単語の使用頻度が近年一気に上がったのは間違いなくソーシャル・ネットワークの影響でしょう。
気に入った記事があったらそれをシェアする──そういう使い方です。
で、このシェアの使い方、今までと少し違っていると思いませんか?
昔はシェアの対象が具体的な「物」であったので、シェアすれば必ず分け前は減ったのです。
2人でシェアすれば、所有権・使用権は半分になってしまいます。1枚のピザを n人でシェアすると、個数としては1切れが n切れに増えますが、取り分は n分の1になってしまいます。
ところが、ソーシャル・ネットワークのシェアは基本的に「複製」ですので、シェアされればされるほど、掲載場所は増え、読まれる数は増えるのです。
これは錬金術的な新しいシェアではないでしょうか? そろそろ share と言う単語に「拡散する」という訳語を加えても良いのかもしれません。
時代や流行、そしてテクノロジーの進化が言葉を変えて行くのですね。