随分昔の話ですが、私の会社の先輩で茨城のご出身の石田さんという方がおられました。そして、この石田さんには「エバラギ県のエシダさん」という異名がついていました。
こんなことがありました。
石田さんがアルバイトの女の子(そう、社内にまだ大勢のアルバイトがいた時代でした!)にコピーを頼みました。A4サイズで1枚。
不幸にしてその女の子は今まで事務のバイトをやったことがなく、しかもその日がバイト初日でした。彼女は素直に受け取ってコピーを取りに行ったのですが、いつまでたっても帰ってきません。漸く帰ってきて言うには、
「石田さん、A4とかB4とかいうサイズはありますけど、E4というのはないんですけど…」
そうなんです。石田さんは「イ」と「エ」の発音の区別がつかないのです。
彼にとって「イ」と「エ」は同じ音でした。いや、もっと正確に言うと、彼の言語の中には「イ」も「エ」もなく、「イ」と「エ」の中間の別の音がひとつあるだけなのです。
(以下、感じをご理解頂くために、石田さんの発言部分は、ところどころ「イ」と「エ」を入れ替えて表記します)
私も石田さんに「Gリーグの試合」と言われて訳が分らなかったことがあります。これは「Jリーグの試合」でした。でも、そんなことはまだ驚くに足りません。
ある日ワープロ(そう、まだワープロの時代でした!)を打っている石田さんの傍を通りかかったら呼び止められました。
「これ、変換してくれなえんだけどさあ」
見ればワープロの画面に「かぶしきがえしゃ」と入力してあります。
「石田さん、これ、打ち間違えてますよ」
「い? あ、そう?」
「カブシキガエシャになってますよ。これじゃ変換してくれませんよ」
「ああ、僕はエバラギだから分かんなえんだよにい」
「いや、ほら、ここがエになってるじゃないですか。イにしないと…」
「い? アエウエオのエ? それともアエウエオのエ?」
な、なんと、口で言う場合だけでなく、文字で書く場合も区別がつかないのです!
これってとっても仰天!
でも、例えばこういうことです。
彼にとって「イ」と「エ」が同じ音だというのは、私たちにとって「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」、「オ」と「ヲ」が同じ音であるのと同じなのです。
ワードで「地震」と書こうとする時「じしん」か「ぢしん」か考えないと判らないでしょう?(ま、どちらでも変換してくれるんですけど…)
「つずく」か「つづく」か、「うなずく」か「うなづく」か、いつもちゃんと区別できています?
「こんにちわ」か「こんにちは」か迷いませんか?
「…の通り」と書くつもりで「のとうり」と打ってしまったために変換してもらえなかったことがあるでしょう?
いや、もっと話を広げてインターナショナルにしましょう。
石田さんが「イ」と「エ」のどちらが正解だったかと迷っている姿は、日本人が英語の綴りを書く時にLだったかRだったか迷っている姿と同じなのです。
西洋人は首を傾げるかもしれません。でも、我々日本人にとってはLもRも同じ音なのです。
私たちは決して石田さんを嗤う訳には行かないのです。
私は石田さんとはずっと仲良くコミュニケーションを重ねて行きました。
石田さんはとてもいい人で、かつ、とてもええ人でした。