小学生の頃、江戸っ子は「ひ」が発音できなくて「火鉢の火箸」が「しばちのしばし」になってしまうと聞いて大変驚いた記憶があります。関西で育ったのでそんな発音は聞いたことがなく、半信半疑でした。
そもそも、なんで「ひ」が発音できないのかが理解できません。言えるでしょ、そんなもん。
関西ではむしろ逆です。私の祖母たちの世代は「質屋」のことを「ひちや」、「七」を「ひち」、「しつこい」を「ひつこい」と言ってました。これらはみな江戸っ子とは逆のパタンで、「し」が「ひ」になっています。
単音として「し」と「ひ」のどちらが発音しやすいかを考えているとこの問題の答えはなくて、「し」の音のあとに、「ち」や「つ」の音を続けることの発音のしにくさを考えれば謎は解けます。「ひちや」「ひち」「ひつこい」はこの問題を回避しているのです。
でも、「しばちのしばし」に戻ると、これは「ひ」が「し」になることによって何が解決しているのかよく解らないのです。ただ、言語に於いてこういう入れ替わりというのはたくさんあるのも確かです。
主に江戸時代以前の国語学の専門用語らしいのですが、日本語には通韻と通音というものがあります。通韻は同韻相通あるいは段訛り、通音は五音相通あるいは行訛りとも言われるようです。
例を挙げると、通韻(同韻相通)は「けむり」が「けぶり」になるような、マ行ウ段が別の行であるバ行のウ段に入れ替わるようなケースを指します。「のく(退く)」が「どく」になるのもこの例でしょう。江戸の言葉で「まっすぐ」が「まっつぐ」になったり、大阪弁で「仰山(ぎょうさん)」が「ようさん」になるのもこの例と言えます。
そして通音(五音相通)は「すめらぎ(皇)」が「すめろぎ」に、「いを」が「うを(魚)」になるような、同じ行の中の別の段の音に入れ替わることを言うのだそうです。この例は現代語にはあまり残っていませんね。
でも、江戸の国語学からは離れてしまいますが、「ミンチカツ」が「メンチカツ」、「きつねうどん」が「けつねうどん」、「ヒレ(フィレ)肉、ヒレ(フィレ)カツ」が「ヘレ肉、ヘレカツ」になるのも通音かなと思います。この手の入れ替わりも方言に多いみたいです。
大阪弁には通韻のほうもたくさんあります。敬称の「さん」が「はん」に転ずるのも通韻の例と言って良いでしょう。あとは「せばい」「ねぶたい」「けぶたい」「さぶい」「むつかし」「まむし」「あむない」などなど。どれもこれも結構イナタイ表現ですね。
一方通音も枚挙に暇がありません。「しょうもない/しょうむない」「そやから/せやから」「そやねん/せやねん」「もみない/もむない」などなど…。
「せばい」「ねぶたい」「けぶたい」「さぶい」は全てマ行→バ行の例です。「むつかし」は「むずかしい」が転じたもの。「まむし」は蛇ではなくて「まぶし」の転用で、タレをまぶした鰻飯のことです。そして「あむない」は「危ない」。
また、「しょうむない」は「つまらない」という意味ですが、これは本来「仕様もない」が転じたものだと思われます。「せやから」「せやねん」も「そうだから」という意味の「そやから」、「そうなのだ」という意味の「そやねん」の変形でしょう。「もみない/もむない」は語源はわかりませんが「味気ない、不味い」という意味です。
大阪弁を離れて通韻・通音の例を見つけようとすると、擬声語・擬態語にたくさんあります。
「ぴったり/ぴったし」「ばっちり/ばっちし」「やっぱり/やっぱし」「ずっぽり/ずっぽし」「さっぱり/さっぱし」「きっちり/きっちし」。全部「り」が「し」に入れ替わる通韻(同韻相通)です。最後の2つは関西でしか言いませんかね?
一方で、音が似ていても通韻でも通音でもなく、全然違う単語であるケースも少なくありません。
「がっくり」と「がっつり」(後者は北海道弁由来の比較的新しい言葉ですね)、「しっかり」と「すっかり」等々。 あ、「通韻」と「通音」もそうですね。
どうです? この説明じっくり読んだらしっくり来ました?