「木を見て森を見ず」と言うけれど、経済はどうも「森を見て木を見ず」になりがちだよね、木も見ようよっていうお話です。
ある森に7人の小人が住んでいました。森で採れる木の実や草花を食べ、蜂に蜜を分けてもらい、道具は手作りして困ることはありませんでした。
ところが、ある日突然王様が来て「この森は我が領地である。森のもの全て勝手に取ることはまかりならん。」と言って、森の使用料を要求しました。小人たちは、自分たちが食べる以上の木の実や草花や蜜を採り、必要以上の道具を作って、それらを売り、使用料を払いました。
いつしか森は荒れ、小人たちは食べ物を買ってこなければ暮らせなくなってしまいました。買ってくる食べ物はきっと他の土地に住む小人たちが採ってきたものでしょう。かつて一緒にお茶会をした隣の森のあの小人たちかもしれません。
荒れてしまった森や野は、地球ほどの長い時間で見れば、いずれ戻っていくのかもしれないけれど、自然の回復作用として起こる、人から見れば天災の中でその長い時間耐えて生きるのか。何処かの誰かに皺寄せがあっても、今は自分に降りかからなかったと安堵し、見ないままにこの道を進むのか。
おっと横にそれてしまいました。本題は「人を見よう」d(^_^o) でした。働いているのは国じゃなくて人だから。国は人の集合体でしかないから。集合体の力が人をおろそかにしてはいけないのに、集合体を強化する力ばかりが大きいのはどうなの。だから、矢印の方向が 人 → 国 な通貨だってあってもいいんじゃないかな。
その3 既存金融との違い の「支え合いの原資」とはどのような概念か。
たとえば大きな球を自分の価値としたら、この中から社会生活を送るために必要な分だけ取り出します。
皆んながそれぞれ持って集まりました。大きな球、小さくてもキラキラ輝く球、硬くて投げたらよく飛びそうな球、透けて見える魔法のような球、ふわふわの暖かい球、いろんな球がありました。
あるふたりが球と球を交換しようとしました。すると誰かが言いました。「ねぇ、そっちの球の方が大きいのに、大きいの一個と小さいの一個で交換していいの?」と。ふたりはちょっと迷いましたが、相手の球が欲しかっただけなのでそのまま交換しました。
お互い納得すれば同じ価値なのです。
こうして皆んながワイワイ話してるのを羨ましそうに見ている人がいました。その人の球は、色は地味、形も平凡、大きくもなく小さくもない取り立てて目立つ特徴がないので、誰も欲しがってくれません。でも実はこの球、色や形がころころ変わることはなく硬さも温度も程よくて、たくさん集めればとても良い家の土台になる球でした。ただその人自身この球の良さに気づいていなくて、他の誰かにも気づいてもらえないのでした。
長くなるのでこれくらいにします。
だから仮に全部同じ価値ってことにしてみよう。あかんかったらじっくり考え直したらいいじゃん。
次は原資に具体的な数値を設定しなくてはいけません。
ベーシックインカムは最低限度生活保証ですね。最低限度の生活かぁ、これがまた人によって違うんですよねぇ。具体的な数値を設定するのが難しい。でもとりあえず決めてみないと始まらないので、基礎控除額を参考にしたら分かりやすいのではと考えています。
Wikipediaには
基礎控除が存在する理由は、個人の所得のうち、本人の最低限度の生活を維持するのに必要な部分は担税力を持たないと考えられることにある[2]。
とあります。
現在の基礎控除額は適正と言えるのか…「大蔵省メニュー、基礎控除」で検索するといくつかヒットします。
庶民 t 「年額38万円で生活しろって無理じゃね」「なんならざっくり年額120万円とかでどうよ」
とズボラが顔出してくるのは困ります。基準や根拠は無いのかよっていう 笑
計算してくれる人〜他のアイディアある人〜いらっしゃいませんか?
原資についてはこんなところかな。何か思い出したら追記しますね。