クリエイターと作品の評価システムについて_【酔にまかせて】

 

家呑みして酔っ払うと、管を巻きながら創作について連ツイすることがあります。
これは、それをまとめたものです。

今回は「クリエイターと作品の評価システム」についてです。
流れは以下になります。


ちょっと前 コンテンツの作品の評価は貴族制だった。

ネットの登場 評価が民主制に移行

その結果 文化的ポピュリズムになりつつある←今ココ

 

インターネットの登場により、クリエイターとコンテンツ(作品からブログ記事までを含む広い意味)を評価する一次評価者が変わる

優れたクリエイターとコンテンツを一般の人にまで届けるにはいくつかの評価者を経ないとなりません。これは、クリエイターとコンテンツに関して、一般のひとが審美眼と知識を持ち合わせていないから、「こういうものが凄いんだよ」と教える人が必要になります。

こういうことを言うと反発する人いると思いますが、ゴッホやニーチェや三島由紀夫の作品が、どうして死後も残っているのか説明できる人はほとんどいないんじゃないでしょうか。

インターネット以前の一次評価者は、大手の出版社、名のある作家、評論家などです。彼らには専門的技術と知識、知名度に基づいた権威と信頼がありました。彼らが言うならと、一般のひとは信じ、こういうものが凄いんだと、自分で評価するのではなく、一次評価者が教えてくれたことを受け入れていました。

例えると、一時評価者の貴族制です。
専門的な審美眼と知識を持ち合わせた一時評価者が、クリエイターとコンテンツの評価を独占していた時代と言えます。

それとこの頃は、「コンテンツ」と言いましたが、芸術家と作品しかなかったのではないでしょうか。

これが、インターネットの登場によって変わります。
クリエイターとコンテンツの評価が、貴族制から民主制へ移行します
簡単に言うと、名もない一般の受け手がコンテンツを自分で評価するようになりました。

でも、おおかたの人はコンテンツの評価の方法など知りません。
芸術的体験を重ね、審美眼を養う経験を積んでいる者など稀です。
どういうことかと言うと、個人の趣味嗜好とは別に、コンテンツを判断する価値基準など持っていません。

そこで、民主制では2種類の評価方法をするようになります。
①自分がただ良いと思ったものを良いコンテンツと思う。
②コンテンツを判断する価値基準がないから、結局は何かの権威に頼ろうとする。

①ついて。
大方のひとは自分に甘い。疑問や悩みを抱えていても、本気で解決にのぞまないし、耳障りがいいことしか受け付けない。ネットに自己啓発的言説が多いのはそのためです。コンテンツを判断する価値基準がない、つまり自分や世界を理解するための価値基準がないから仕方ないのかもしれません。

②について。
自分で判断する価値基準がないから、何かの権威を受け入れて判断しようとする。最初のほうで言った貴族的評価者の影響力がなくなり、インフルエンサーとかの言っていることが本当だと、価値があることだと思うようになる。
例えば、ライターとかでフォロワーが多くネットで拡散されているのを見て、それが良いか悪いか判断せずに、これだけ人気なら良いんだろうと思ってしまうひと多いのではないでしょうか。

現代は、おそらく過去最高に書き手や発信者が多い時代ですが、文章や作品のクオリティが比例しているわけではありません。
ネットでは、脊髄反射的に良いと思うものが「反応」される。クオリティは重視されていない。この反応の多さが受信者を、そして発信者も「評価」と誤解させているのではないでしょうか。

①と②の結果。
政治でも、末期になるとポピュリズムが流行します。
今、ネットでは文化的なポピュリズムが流行し始めているのではないでしょうか
コンテンツを自分で評価ができない、そこへ耳障りがいいこと、感覚を手っ取り早く刺激してくれるものを支持し、良いコンテンツだと思うようになっているのではと。

政治のポピュリズムが行き着く先は、歴史を見てもらえれば分かるのではと。では、文化のポピュリズムが流行するとどうなるのか?
…とは言え、今インターネットをスマホで見ていることが多いから一時的にこのような状況になっているのかも。また違うデバイスが現れれば状況は変わるのかもしれません。

今回の連ツイは以上ですが、ちょっと追加します。

このツイートをしようと思ったきっかけは、noteの関係者がクリエイターの業界について「これは本当そう。ピラミッドの土台の広さが、頂点の高さを決める。メジャーなジャンルに強者が多いのも、中国が強いのもみんなそれ」と発言されていたからです。

先にも書きましたが、文章に関して言えば、昭和よりも今のほうが書き手は多いはずです。おそらく何らかの意味でのクリエイターが、過去最高に多い時代なのではないでしょうか。
noteの関係者が言うことが本当なら、現代に三島由紀夫や川端康成クラスがゴロゴロしていていいはずです。誰をそのようなレベルと思うかはそれぞれ価値観があると思いますが、現状は全く違うと思っています。

noteの関係者が本当にそう思っているのか、あるいはnoteに関わる者としてのポジショントークなのかは分かりません。noteとしては、色んな方に参加して欲しいだろうし、参加のハードルを下げたいというのはサービスとして当然だと思います。

気軽に創作を楽しむ、それは悪いことではないと思います。
しかし、参加者がいくら増えてもピラミッドは高くならないのではないでしょうか。つまり、裾野の広げるだけではピラミッドは高くならないということです。


今後、ますます創作や言論の主舞台がネットに移ります。表現について何も知らない方達が、クリエイターやその作品を評価していくというのは、立ち止まって考えてみたほうがいいテーマなのではと思います。

クリエイターや作品を「民主的」に評価をする。この評価システムでは、本当に優れたクリエイターや作品が発見されずらくなります。
それは、そのクリエイター達が損をするだけではありません。
我々の文化や考え方、そして心にも影響すると思っています。

これは私個人の考えです。
このような考え方もあるんだなと、読んでもらえれば幸いです。
 

 

 

 

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2019/06/11 27.38 ALIS 22.30 ALIS
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