
まずはGoogle先生がはじき出した(日本語→)英訳を御覧ください(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
「風が聴こえる」(なぜか佐村河内守氏を思い出してしまう・・)は "I can hear the wind" に、「星が見える」は "I can see the stars" に、概ね的確に訳出されています🈴
注目すべきは主語(I)がキチンと補われて英訳されていることで、これは日本語・英語話者それぞれが捉えた世界の言語化の仕方の違いを反映しているのですφ(..)メモメモ
ザックリ言えば、日本語話者は視界に現れた世界をそのまま臨場的に言語化する傾向があり、英語話者は自分をも含めた世界を舞台のようなものとして把握(シェイクスピアの「世界劇場」みたいなイメージ)し言語化することが多いようです。川端康成『雪国』の冒頭分と、エドワード・サイデンステッカーの対応する英訳が、両者の世界把握(とその言語化)のあり方の違いを示す好例かと思われます(池上嘉彦,『英語の感覚・日本語の感覚―“ことばの意味”のしくみ (NHKブックス)』)。サイデンステッカー氏の英訳はあまりに素晴らしく、そのために川端氏はノーベル賞を受賞できたという評価もあるようで。
(日)国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。
(英)The train came out of the long tunnel into the snow countly.
日本語話者は列車に乗った主人公の目に見えた世界をそのまま言語化し、英語話者は主人公を乗せた列車が登場する舞台を、まるで観客席から眺めるように把握して表現しています。
世界はすべて一つの舞台。
男も女も、みな役者にすぎぬ。(『お気に召すまま』)
私は世界を、ただ世界として見ているだけさ、グラシアーノ、つまりは舞台、その上で人は誰しも、それぞれ役を演じなくてはならぬ。私の役どころは、愁い顔さ。(『ヴェニスの商人』)
「私の役どころ」の存する世界劇場を、「ただ世界として見て」表現する傾向が英語話者にはあるようです。ちなみに、
「千年紀の終わりを期して、イギリスで世論調査があった。終わろうとしている千年紀で一番重要なイギリス人はだれだったかと問うたものである。 一位は、当然ともいうべく圧倒的にウィリアム・シェイクスピア。そして、二位の座を占めたのがアイザック・ニュートンだったのである」(高山宏『近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)』)
英語を学ぶにはこういう強要も重要なのかも知れません(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
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