酒呑童子を討伐したあとに、源頼光たちが京の都にもち帰ってきたという酒呑童子の首は、じつは赤牛の頭だったという話もあります。
下記の引用文は、上記のことについて書かれている、『京都府の民話』(県別ふるさとの民話 47)の本の50~51ページのところの記述からの引用です。この下の引用文のなかで語られている話は、福知山市大江町にある鬼ヶ茶屋(おにがじゃや)のご主人が語られたお話です。
「酒呑童子は、大きなさかずきになみなみとついでもらった毒酒を、いっきにのみほした。しばらくすると、さすがの童子も、からだじゅうに毒がまわったのか、ばったりとたおれてしもた。
頼光のあいずで、さむらいたちは刀をぬいて、いっせいにきりかかった。そして酒呑童子のいのちをたってしもたそうや。
いわゆる「酒呑童子」の話は、これでおわるわけだが、茶店の主人の話には、そのあとがちょっとある。
酒呑童子をたいじした五人のさむらいたちは、意気ようようと山をくだってきたが、ふもとまできて、たいへんなわすれものをしたことに気がついた。
ころした酒呑童子の首をもってかえるのを、わすれてしまったのだ。
「天子さまに、たしかにたいじしました、ともうしあげるしょうこがない。」
「こまった、こまった。」
思案しながらあるいていると、むこうから百姓が、大きな赤牛をつれてやってくるのにであった。
「そうだ。いいことがある。」
頼光は百姓にたのんで、その牛をゆずってもらい、首をきって、それをさげてかえってきたというんや。つののある牛の首をやで。
頼光たちは、その首をたかくかかげて、京の町をあるいたという。
「なるほど、酒呑童子はこわい顔をしてるな。」
町の人たちも、天子さまもおどろかれたようだ。
こうしたわけで、酒呑童子は、つののあるこわいおにの顔に、えがかれるようになったということさ。」
(高橋良和 (再話) (1983年) 「酒呑童子のつの〈伝説・加佐郡大江町〉」, 日本児童文学者協会 (編集), 『京都府の民話』, 県別ふるさとの民話 47, 50~51ページ.)
参考: 酒呑童子の首をまつっているという首塚大明神について
https://wisdommingle.com/?p=19180
「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」
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■画像の出典
・”犢 & 牛” by chia ying Yang on Flickr (License: CC BY 2.0).
・”103" by LK MJ on Flickr (License: CC BY 2.0).
・”Man vs Minotaur” by Sean Loyless on Flickr (License: CC BY 2.0).
・”Man vs Minotaur” by Sean Loyless on Flickr (License: CC BY 2.0).
・”fountain I” by Peter Shanks on Flickr (License: CC BY 2.0).
・”The Minotaur, Barbican” by Metro Centric on Flickr (License: CC BY 2.0).
・”Minotaur” by Matt Brown on Flickr (License: CC BY 2.0).
・福知山市大江町にある鬼ヶ茶屋(おにがじゃや)と、その周辺の写真, 筆者が2018年11月に撮影した写真です.
参考: 酒呑童子の首をまつっているという首塚大明神について
https://wisdommingle.com/?p=19180