「志賀(しが)の浦(うら)の冴(さ)ゆるけしきのことなるは比良(ひら)の高嶺(たかね)に雪や降(ふ)るらん」
(慈円 (慈鎮和尚)『拾玉集』[歌番号35]より)
(参考文献: 慈円(じえん)(慈鎮和尚(じちんかしょう))(原著), 石川一(著者), 山本一(著者), 久保田淳(監修), (2008年) [歌番号35], 「百首和歌 十題(初度百首)」, 『拾玉集 上 (和歌文学大系 ; 58)』, 明治書院, 8ページ.)
ぼくは、いま、香取本『大江山絵詞』という絵巻物のなかに描かれている酒呑童子の説話のなかにでてくる、「平野山」(ひらのやま)と、「近江国かが山」(おうみのくにかがやま)という、謎の地名について調べたり、考えたりしています。そして、それらの研究成果をまとめて、Kindleなどの電子書籍として出版しようとおもっています。
この上の画像は、その電子書籍の表紙のカバーの絵としてつかう画像の、試作品のプロトタイプのベータ版のモックアップのラフ画の・・・、といったかんじで、ためしにつくってみた、サンプル画像です。最終的な表紙のカバーの絵は、きっと、この上の画像とは、ぜんぜんちがったものになるだろうとおもいますが、画像の大きさや、縦横の比率などは、だいたいこんなかんじになるだろうとおもいます。
ちなみに、冒頭の画像の全体像は、この下の画像のようなかんじです。
また、この上の画像の元画像となっているのは、この下の画像です。この下の画像にいろいろと加工をくわえて、上の画像をつくりました。
(画像の出典:[良弁と比良明神], 石山寺縁起. [1], 国立国会図書館デジタルコレクション, コマ番号:10 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ) より, 元の画像を加工・編集して使用しています.)
ちなみに、さきほど、「平野山」と、「近江国かが山」の、2つの地名について調べているとお話しましたが、いまはおもに、「平野山」についての研究にとりくんでいます。具体的には、「平野山」と比良明神(ひらみょうじん)との関連について調べたり考えたりしています。そこで、ここでは、それらの研究についての構想を、すこしお話したいとおもいます。この構想は、のちのちに書くことになる本の「執筆構想」にもなるだろうとおもいます。
こまかい説明をはぶいて、概要としての「おおきな絵」についてお話するので、わかりにくいところもあるかとおもいますが、ご了承いただければとおもいます。また、最終的に、ひとつの論考としてまとめていく段階で、いろいろかんがえが変わっていくだろうとおもいますが、いまのところかんがえているのは、下記のようなことです。
いま、ぼくは、近江国(現在の滋賀県)の湖西地域(琵琶湖の西岸地域)における水上運送の物流経済を支配していた有力氏族や宗教者・僧侶たち(寺社)や、その物流網・物流経路などを象徴しているようにおもえる湖西地域の一帯の地主神などの神々、などについて、なんとなくかんがえていて、それについての文献を調べたり、書いたりしています。
湖西地域の一帯には、古来から複数の地主神などの神々がいたようなのですが、時代を経るにしたがって、どうやら、政治的・経済的な「吸収合併」をくりかえして、それらの神々が、どんどんひとつのかたちにまとめられていったようです。
ちなみに、湖西地域の地主神などの神々というのは、たとえば、下記のような神々です。
・比良明神
・峯明神(峯権現)(風神)(峯神社(滋賀県大津市木戸))
・比良の天神(大戸道尊・大戸辺尊)(比良天満宮(滋賀県大津市北比良))
・白鬚明神(白鬚神社(滋賀県高島市鵜川))
・三尾明神(水尾神社(滋賀県高島市拝戸))(三尾神社(滋賀県大津市園城寺町))
・猿田彦神(猿田彦命)
・次郎坊(天狗)
・十禅師(鴨玉依姫神)(樹下神社(滋賀県大津市北比良))(樹下神社(滋賀県大津市木戸))
・志古淵明神(思古淵明神)(シコブチ明神)(葛川の地区や、その周辺地区)
こうした複数の地主神などの神々は、湖西地域における水上運送の物流経済がひとつにまとまっていくながれにともなって、だんだん「吸収合併」されていったのではないかなと、なんとなくおもっています。
ちなみに、湖西地域は、複数の地域から構成されています。それらの「複数の地域」というのは、たとえば、下記のような地域のことです。
・高島(高嶋)
・和邇
・堅田
・坂本
・瀬田(勢多)
・寺辺(伽藍山(石山寺)のあたり)
そして、こういった、それぞれの地域の象徴(それぞれの地域の水上運送を支配していた有力氏族の象徴)が、さきほど、上でお話した「複数の神々」だったのではないかなと、ぼんやりおもっています。
そして、そうした神々の「吸収合併」合戦のあとにできあがった、経済的・政治的なミックス地主神にたいしてあたえられた呼称が、「比良明神」だったのかもしれないなと、ぼんやりおもっています。
ちなみに、比良明神は、古来から存在した地主神だったようです。その比良明神と、湖西地域の一帯の複数の地主神などの神々を「吸収合併」させていった主体となったのは、南都(奈良の平城京)の仏教僧たちや、天台宗の仏教僧たちなどの、宗教教団だったのだろうとおもいます。
そうした流れのなかで、最終的に、比良明神と、湖西地域の一帯の複数の地主神の神々との、「吸収合併」を完成させたのは、天台教団(天台宗の教団。比叡山延暦寺)だったのではないかなと、なんとなくおもっています。
こうしたながれの結果として、経済的・政治的なミックス地主神である「比良明神」は、湖西地域における水上運送の物流経済の覇権(支配権)を象徴する存在とされるようになったのではないかなとおもいます。
そして、このことこそが、まさに、香取本『大江山絵詞』の絵巻物に描かれている物語のなかの設定において、酒天童子のすみかとして、比叡山ではなく、「平野山」(ひらのやま(比良山))が設定された理由なのではないかとおもいます。
(このあたりの詳細について興味があれば、こちらのリンクの記事をご参照いただければとおもいます。)
香取本『大江山絵詞』の絵巻物に描かれている酒呑童子説話(または、その祖形となった説話)がつくられる過程においては、比叡山延暦寺の天台教団が、おおきな影響をあたえたといわれています。
香取本『大江山絵詞』の絵巻物では、比叡山延暦寺と日本天台宗の開祖である伝教大師最澄が、「平野山」(ひらのやま)から、地主神であった酒天童子(酒呑童子)を追い出して、根本中堂を建てた(延暦寺を開創した)とされています。
ですが、史実では、根本中堂(の前身)が建てられた場所は、実際には、「平野山」(ひらのやま(比良山))ではなく、比叡山です。それにもかかわらず、香取本『大江山絵詞』の絵巻物では、あえて「平野山」(ひらのやま(比良山))という地名がつかわれています。
そのように、この説話のつくり手である天台教団が、「延暦寺が開創された場所」、つまり、「延暦寺の領土」を、「比叡山」ではなく、あえて「平野山」(ひらのやま(比良山))だという「設定」にした理由は、「自分たち(天台教団)こそが、(さきほどお話したような、)湖西地域における水上運送の物流経済の支配者である」、ということを喧伝するためだったのではないかとおもいます。
ここでつかわれている「平野山」(ひらのやま(比良山))という言葉が意味するのは、おそらく、実在する具体的な「比良山地」のことではなく、(さきほどお話したような、)経済的・政治的なミックス地主神である「比良明神」の領地、つまり、「湖西地域における水上運送の物流経済の流通経路となっている地域一帯」のことではないかとおもいます。
天台教団は、香取本『大江山絵詞』の絵巻物に描かれているような説話をとおして、自分たちが、その「湖西地域における水上運送の物流経済の流通経路となっている地域」の正当な支配者である、ということを主張することによって、自分たち天台教団が、その物流経済を支配し、そこから利益を得ることを、正当化しようとしたのかもしれません。
ここでは、くわしい説明をはぶきならがお話してきましたが、だいたい、ここまでお話させていただいたようなことを、ぼんやりかんがえたり、それにまつわる参考文献や参考資料などをながめたりしながら、いま、こうしたかんがえをまとめる文章を書いています。
そして、のちほど、その文章を、電子書籍にして、Kindleなどで提供しようとおもっています。冒頭の「本のカバー画像の試作品」をつくろうとおもったのも、そのようないきさつからです。
もし、ここでお話させていただいたことに興味があれば、この下のリンクの記事もご覧いただければとおもいます。
(参考: 香取本『大江山絵詞』の「平野山」と「近江国かが山」: 比叡山延暦寺による土地領有権説話としての酒呑童子譚)
https://wisdommingle.com/?p=21616
通販をはじめたもともとのきっかけは、原稿料として支払うおカネの代わりに「贋金」(にせがね)をつくろうということだった。協力してくれる読者にもおカネの代わりに、なにかお礼になるものをさしあげたかった。
「贋金」はなんでもよかった。持っているだけでいいなと思ってもらえるものなら、なんでもよかった。
(出典: 糸井重里 (2004) 「オリジナルTシャツに涙する」, 「第5章 もう一度よく考えてみた」, 『ほぼ日刊イトイ新聞の本』, 講談社文庫, 講談社, 218~219ページ.)
これは余談なのですが、今日、はじめて、自分で独自のNFT(ノン・ファンジブル・トークン)をつくってみました。
具体的には、『石山寺縁起』という絵巻物のなかの絵図に描かれている、比良明神(ひらみょうじん)の絵図の画像を、NFT(ノン・ファンジブル・トークン)にしてみました。
これは、もしかしたら、「世界初のブロックチェーン明神」かもしれません!?(笑)(正確には、「ブロックチェーンに記録された世界初の明神の絵図」といったところでしょうか。)
そのトークン(NFT)は、いま、OpenSea(オープンシー)で販売しています。いまのところ、おなじNFTを3つだけの限定でつくって、そのうちの2つを販売しています。(ちなみに、OpenSea(オープンシー)というのは、NFT(ノン・ファンジブル・トークン)を売り買いすることができるウェブサイトのことです。)
そのトークン(NFT)は、この下のリンクのOpenSea(オープンシー)のページから買うことができます。
Hira Myjin Marketplace on OpenSea: Buy, sell, and explore digital assets
https://opensea.io/assets/hira-myjin
ちなみに、これは、テスト的な実験でもあるので、そのトークン(NFT)の値段は、0.0001ETH(いまの為替レートなら、約2~3円)ぐらいに設定しています。「こんなサービス、滅多にしないんだからね☆」(*1)(*2)(*3)(*4)
(^_-)-☆
NFT(ノン・ファンジブル・トークン)を売買されるときは、つぎのことにご注意ください。
NFT(ノン・ファンジブル・トークン)を売買するための方法などについては、こちらではサポートできませんので、ご自身でお調べいただければとおもいます。
Ethereum(イーサリアム)の「アドレス」(文字列)についての情報(取引履歴など)は、公開されていますので、世界中のだれでも見ることができます。ですので、あなたのEthereum(イーサリアム)の「アドレス」の情報も、世界中のだれでも見ることができます。 (ただ、その「アドレス」と、あなたの個人情報がむすびつけられないかぎりは、その「アドレス」の情報が、だれの情報なのかということは、だれにもわかりません。)
ですので、もしも、あなたのEthereum(イーサリアム)の「アドレス」(文字列)と、あなたの名前などの個人情報をむすびつけることができる条件がそろえば、あなたがEthereum(イーサリアム)の「アドレス」でおこなった取引の情報などを、世界中の誰もが自由に見ることができる、ということになります。
ですので、もし、「そういったことになると困る」という場合は、あなたのEthereum(イーサリアム)の「アドレス」(文字列)と、あなたの名前などの個人情報をむすびつけることができる条件がそろわないように、ご注意ください。
たとえば、もしあなたが、どこかのソーシャルメディアなどで、「私は、倉田さんがOpenSeaで販売していた比良明神の画像のNFTを買いました」という発言をすると、そのことから、あなたのEthereum(イーサリアム)の「アドレス」(文字列)が判明して、その「アドレス」でおこなわれた取引が、あなたがおこなった取引だということが、ほかの人にもわかってしまう可能性があります。
そういったことを気にされる場合は、ご注意いただければとおもいます。そういったことについても、こちらではサポートできませんので、ご自身でお調べいただければとおもいます。
なにかのご参考までに。
m(_ _)m
ついでながら、英語では、「NFT(ノン・ファンジブル・トークン)をつくること」を表現するときにつかう動詞として、「mint」(ミント(鋳造する))という言葉をつかうようです。今日、はじめてそのことを知りました。ちなみに、「NFT(ノン・ファンジブル・トークン)をつくること」を名詞句として表現するときは、「minting」(ミンティング(鋳造))という言葉をつかうようです。またひとつ、まなびになりました。
ちなみに、「個人」でもNFTを「つくる」ことができることを表現する言葉として、「鋳造する」という言葉を当てているところが、なんだか示唆的でおもしろいなとおもいました。
ぼくが、こういった、NFT(ノン・ファンジブル・トークン)や、OpenSea(オープンシー)などを、どうやって、どんな目的でつかおうとしているのか、などなどについては、また、おいおい、いろいろとお話できたらなとおもいます。
「NiseGaneDe FanTo Tanoshiku!」
(「贋金」(にせがね)で、ファンと、たのしく!)、
略して、NFT!(笑)
d(≧∀≦)b
「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」
(参考: 香取本『大江山絵詞』の「平野山」と「近江国かが山」: 比叡山延暦寺による土地領有権説話としての酒呑童子譚)
https://wisdommingle.com/?p=21616