「こゝを以て仏法修行霊験の勝地として慈尊出世三会の暁を期し、正しく大菩提の行を修し給ふべし。此滝は是十九の内、第三の清滝都卒の内院に通ず。之を葛川滝と名づく。自今以後は我仏法修行の人を擁護して竜花の莚を待たん、我名を信興淵大明神と申す。」
(相応和尚に葛川の地を譲ったとされるシコブチ明神の言葉)
(出典: 寒川辰清(著者), 小島捨市(校註), (1915年) 「葛川寺」, 「志賀郡第二十五」, 「巻之三十」, 『近江輿地志略 : 校定頭註』, 西濃印刷出版部, 356ページ.)
(注記: 引用者が、一部の漢字を、旧字体から新字体に変えました。)
現存最古の酒天童子(酒呑童子)の伝説(説話)が描かれている、香取本『大江山絵詞』(かとりぼん・おおえやまえことば)という絵巻物があります。
ぼくはいま、その絵巻物に描かれている酒天童子(酒呑童子)の伝説について研究しています。
その、現存最古の酒天童子(酒呑童子)の伝説が描かれている香取本『大江山絵詞』という絵巻物の誕生には、中世の時代の、比叡山延暦寺(天台宗)の天台教団や、そこに属する天台修験(天台宗の修験道)の密教行者(修験者、山伏)などが深くかかわったとされています。
その天台修験の密教行者(修験者、山伏)の三大聖地として、つぎの3つの寺院があります。
● 無動寺谷の明王堂
(日本天台宗の総本山、比叡山延暦寺の無動寺谷の地区の本堂である、明王堂。)
(所在地:滋賀県大津市坂本本町)
● 葛川の息障明王院
(安曇川(あどがわ)上流の山深い谷の集落、葛川坊村(かつらがわ ぼうむら)にある、北嶺山(阿都山) 息障明王院(そくしょうみょうおういん) 。)
(※息障明王院は、葛川明王院(かつらがわみょうおういん)や、葛川寺(かっせんじ / かつらがわでら)と呼ばれることもあります。)
(所在地:滋賀県大津市葛川坊村町)
● 伊崎寺の不動堂
(琵琶湖最大の島である沖島(おきしま)を臨む伊崎半島の先端の岬にある、姨倚耶山(いきやさん) 伊崎寺(いさきじ)の不動堂(正式名称は、伊崎寺息障明王院)。)
(所在地:滋賀県近江八幡市白王町)
ここでは、これらの天台修験の三大聖地のなかから、葛川坊村にある息障明王院(そくしょうみょうおういん)について、すこし紹介したいとおもいます。
※葛川坊村町にある息障明王院の所在地の地図
https://goo.gl/maps/6zgyAFdQrPGeYja29
目次
かくれ里の明王院 : 葛川坊村の息障明王院
葛川の土地や、その周辺の経路について
「葛川」の「葛」という言葉の由来と、水神信仰について
「比良の神 -うばわれた山-」
これ以降のところに掲載している写真は、息障明王院(そくしょうみょうおういん)と、その周辺で撮影した写真です。
この下の引用文は、随筆家の白洲正子さんの『かくれ里』という本のなかの、「葛川 明王院」という文章からの引用です。
葛川の参籠は、経験をつんだ行者にしか許されず、命がけの荒行といわれている。明王院は、いわば比叡山全体の奥の院なのだ。今その行者道は、坂本から琵琶湖の岸を堅田へ出、そこから西へ入って、比良の山麓を、途中に出る。途中からは、花折峠の急坂を越え、安曇川ぞいに葛川へ至るので、葛川というのは支流ではなく、上流の渓谷を指すらしい。今でも桂の木が多いところで、行者道は川にそって、下の方を通っているが、所々でみそぎを行うと聞く。
(出典: 白洲正子 (2010年) 「葛川 明王院」, 『かくれ里 愛蔵版』, 新潮社, 310ページ.)
この下の引用文は、『葛川明王院 : 葛川谷の歴史と環境』という本のなかの、「第三編 葛川の信仰」のところに掲載されている、京都国立博物館技官(出版当時)の景山春樹さんの「相応和尚伝」という文章からの引用です。
この下の引用文は、葛川(葛川谷)の土地や、その周辺の経路、回峰行者が比叡山から葛川谷へ向かうときにたどる道順、などについて説明してくれています。
(※この本は、1960年に出版されたものなので、この下の引用文のなかに書かれている住所名は、現在では、変わっているものがあります。現在の住所名については、この下の引用文の下のところで補足説明をしています。)
葛川息障明王院は、比叡山東塔の無動寺渓に所属する天台回峰行者の修練道場である。寺は比良山脈の真裏手、安曇川上流の峡谷に沿って拓けたさみしい山間の一部落に在り、裹比良の渓谷にかかる不動明王出現の霊瀑(第三の滝)に祈請するのが、この寺に於ける行門参籠の主要な行儀となっている。昔は葛川村大字坊と呼ばれ、更に古くは坊村とも称せられていた。恐らく明王院がここに出来てから、これに因んで自然に発生した地名だと考えられるが、本来は広く「葛川」(かつらかわ 或いは くづかわ)又は「葛川谷」と言うのが、古い地名であったと思われる。いまは滋賀郡堅田町大字坊村と言う。
京都の北郊から、高野川に沿って上流へ、八瀬、大原をすぎ古知谷を経て、どんどん登って行くとやがて山城の国境をなす小さな峠を越えて近江に入り、滋賀郡伊香立村(いまは堅田町)大字途中と言う処に達する。この路は古くから途中越(橡生[とちう]越)とか、竜華越とか呼ばれて、山城と近江、更に北国へ通じる脇往還としても盛んに利用せられたルートであるが、ここから路を左の山手に取って、つづら折りの坂路を登り、けわしい花折峠(高坂峠)を越えると、やがて路は下り坂となり、いつしか安曇川に沿って次第に下流へ、やがて自然に道は葛川に達している。峠の下の平[だいら]と呼ばれる小さな部落から坂下、木戸口、中村と数えて四つ目、安曇川の右岸にある小聚落が明王院の在る坊村である。坊村をすぎてこの路を更に川沿いに、どんどん降って行けば、町居、梅ノ木、貫井、細川と尚四つの聚落をすぎて高島郡朽木村に入り、やがて西近江路の要衝、安曇川町に達する。この町は大津を経て、北陸と京とを結ぶ表街道の要衝であるから、ここから朽木谷、葛川谷を結び、大原、八瀬を経由する斯うした山間の脇コースは、古くから間道の一つとしても盛んに利用せられ、人文地理上の意義は頗る大きいものがあった。京から葛川詣でをする人はみなこの八瀬大原ルートから入ったもので、京の中心から坊村までは凡そ十里(四〇キロ)のみちのりがある。
比叡山からここへ入るには西塔から八瀬または大原に降り、ここから前記と同じ路を途中に達するのと、横川から仰木に降り、七谷越と呼ばれる路を途中に達するのと、湖岸に沿った西近江路に出て北進し、堅田又は和邇の辺りから路を左の山手、伊香立村へとれば、いずれも前記の「途中」で合流し、花折峠を経て同じ路を葛川谷へと達する事が出来る。比叡山から葛川参籠に入る回峰行者が経る道順は、背から今に至るまでこれらの経路によっているが、どれをとっても比叡山上から坊までは八里に近い行程である。すでにこの谷に向って入って来るだけでも、その行程は一つの「行」となって居る訳で、行者の葛川入りには、後で述べる如くいろんな宗教的な行法や修法を伴うが、参籠中の諸行事の入門序論として、行程はすでに重ぜられる行儀の一部を形成している事が知られる。山林抖擻の修験道的な色彩の濃い天台行門の道場が、斯うした山深い僻陬の地に拓かれているゆえんでもあろう。挿図一八に掲げた写真は比叡山から葛川へ急ぐ回峰行者が湖辺をゆく有様であり、挿図一九はその道中に於いて信者に「お珠数」の加持を施しているところである。
(出典: 景山春樹 (1960年) 「一 相応和尚伝」, 「第三編 葛川の信仰」, 叡山文化綜合研究会(編集), 『葛川明王院 : 葛川谷の歴史と環境』, 芝金声堂, 95~97ページ.)
(※「[]」(スクエアブラケット(Square Bracket)(半角の角括弧))の記号で囲んでいる文字は、原文ではルビ(振り仮名)として表記されている文字です。)
(※上記の引用文のなかの、下記のそれぞれの住所名は、現在は、下記のように変わっています。)
滋賀郡堅田町大字坊村
↓
滋賀県大津市葛川坊村町
滋賀郡伊香立村(いまは堅田町)大字途中
↓
滋賀県大津市伊香立途中町
高島郡朽木村
↓
滋賀県高島市朽木(に属するそれぞれの字(あざ))
安曇川町
↓
滋賀県高島市安曇川町(に属するそれぞれの字(あざ))
伊香立村
↓
滋賀県大津市伊香立(に属するそれぞれの町(ちょう))
この下の引用文は、さきほど紹介した『葛川明王院 : 葛川谷の歴史と環境』の本のなかの、景山春樹さんの「地主神社その他」という文章からの引用です。
この下の引用文は、「葛川」という地名のなかの「葛」という言葉の由来と、水神信仰との関係、などについて説明してくれています。
「葛川」と言う地名にも「葛」の訓は、「九頭」にも相通じ、明王院の代官を代々勤めて来た門前の葛野[くずの]常鬼、葛野[くづの]常満両家の姓にしても、いずれも「くづ」と訓じ、「ぐづ」は「かつらかわ」の枕詞として用いられている用例もみるがこれが或いは川や淵に縁の深い九頭にも関係があるのではないかとも考えられる。そしてこれが「思古淵」の性格とそのゆかりにも相関聯するものがあるのではないだろうか。やはりこの地方が、本来安曇川の水流と言うものに深い関係をもって、その開発が進められて来たと言う歴史の姿を反影しているのではないだろうか。思古淵の神は、所謂九頭の神(司水神の一つ)の異称としてみれば、ここも亦上代に於ける土地の開発が、一般的な経過をたどって拓かれて来た、その歴史の姿を想わせるものがある訳である。葛[かつら]は併しまた桂にも音通している。すでに述べた如く、相応和尚が不動尊を彫刻した霊木と言うのが、桂の古本であったし、後で述べる明王院の大太鼓がやはりこの古事にちなんで必ず滝川の奥の桂の古本を用いることになっているのをみても、その辺に何か故実と言うか、この谷に於ける人々の生活の中に桂の木が深い関係をもって、そこに在ったことも想像せられる。水の流と山の木材とがいまも葛川渓谷の生命であることは変らないように。
とにかく坊では、そうした土地固有の古い信仰や文化が、天台の信仰や文化の蔭にかくされて、或いはその一部が天台文化の中に吸収されていまに残って来ているところに、我々は葛川の歴史や信仰の特色とその面白さを見出す事が出来るのである。
(出典: 景山春樹 (1960年) 「三 地主神社その他」, 「第三編 葛川の信仰」, 叡山文化綜合研究会(編集), 『葛川明王院 : 葛川谷の歴史と環境』, 芝金声堂, 124~125ページ.)
(※「[]」(スクエアブラケット(Square Bracket)(半角の角括弧))の記号で囲んでいる文字は、原文ではルビ(振り仮名)として表記されている文字です。)
荒ぶる神は 西の地から来た
黒い呪いの蛇を全身にまとい
触れるすべてのものを焼き尽くしながら
闇から闇へと やって来た
山の古い神が 人に討たれ 森を奪われたのだ
(出典: (1997年) 「タタリ神」, スタジオジブリ(責任編集), 『The art of the Princess Mononoke : もののけ姫』, スタジオジブリ, 7ページ.)
ちなみに、息障明王院(そくしょうみょうおういん)は、比良山地(ひらさんち)の西側のふもとにあります。
比良山地(ひらさんち)は、香取本『大江山絵詞』(かとりぼん・おおえやまえことば)の絵巻物で語られている物語のなかにも、酒天童子(酒呑童子)が太古から住んでいた場所である「平野山」(ひらのやま)として登場します。
つまり、「平野山」(ひらのやま) = 比良山(ひらのやま / ひらさん)(比良山地)、ということです。
このことから、香取本『大江山絵詞』の物語のなかでは、酒天童子(酒呑童子)は、比良山地の地主神(じぬしがみ)として描かれていることがわかります。
比良山地の周辺には、太古から、水神(水の神)、山神(山の神)、風神(風の神)、天神などの、さまざまなかたちでの比良山地の自然に対する信仰が根づいていました。こうした神は、比良山地の神であることから、比良神(比良明神(ひらみょうじん))とも呼ばれます。
つまり、香取本『大江山絵詞』の絵巻物のなかで描かれている、酒天童子(酒呑童子)は、比良山地の地主神(じぬしがみ)である、比良明神(ひらみょうじん)として描かれている、と言えるとおもいます。
香取本『大江山絵詞』の絵巻物の物語では、酒天童子(酒呑童子)は、日本天台宗の開祖である伝教大師最澄によって、住みかであった「平野山」(ひらのやま)(比良山地)から追い出されてしまいます。
この香取本『大江山絵詞』の物語の行間から読み取れることは、(伝教大師最澄に象徴される)比叡山延暦寺(天台宗)の天台教団が、比良山地の地主神(じぬしがみ)であった酒天童子(酒呑童子)(比良明神)という神を、比良山地や比叡山地がある琵琶湖西岸の湖西地域から追い出して、その土地を自分たちの教団の領地にした、ということなのだとおもいます。
こうしたことや、比良山地の周辺のいろいろな場所にある天台宗系のお寺や神社のことや、冒頭ですこし紹介した伊崎寺やその周辺の天台宗系のお寺や神社のことなど、今も滋賀県(近江国)のそこかしこに残っている中世の時代の天台宗の痕跡のことをいろいろと考え合わせると、あるひとつの想いが湧き上がってきます。
それは、比良山地の地主神であった酒天童子(酒呑童子)(比良明神)の側から見ると、息障明王院(そくしょうみょうおういん)という場所は、政治的・経済的な目的のために、かつて比良山地の周辺の土地々々を「侵略」した比叡山延暦寺(天台宗)の天台教団と、その「尖兵」であった天台修験の密教行者(修験者、山伏)たちが、比良山地の周辺に残した数々の「爪痕」のひとつである、という見方もできるのではないか、ということです。
あわれな古い神よ
できるなら 安らかな眠りを お前に与えたい
大いなる山の神よ
(出典: (1997年) 「タタリ神」, スタジオジブリ(責任編集), 『The art of the Princess Mononoke : もののけ姫』, スタジオジブリ, 7ページ.)
※【地図1】の地図データの出典: 国土地理院「地理院地図」の、地理院タイル「全国ランドサットモザイク画像」を、加工・編集して使用しています。地理院タイルは、「国土地理院コンテンツ利用規約」にもとづいて使用しています。地理院タイル「全国ランドサットモザイク画像」のデータソース: Landsat8画像(GSI,TSIC,GEO Grid/AIST), Landsat8画像(courtesy of the U.S. Geological Survey), 海底地形(GEBCO)。
この記事の、最新版&完全版は、下記のリンクの記事でご覧いただけます。下記のリンクの記事は、随時、内容を追加・修正していますので、そちらのほうが最新版の内容になります。
https://wisdommingle.com/?p=25437
「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」