
文化人類学者の石毛直道著「食卓の文化史」を学生の頃に好んで読んでいた。食卓に並ぶ道具を文化人類学というジャンルから捉えた本で、その中にフォークの起源に関する項目があります。
フォークの起源はヨーロッパでもあるのだけれど、じつはフォークを発明したのは西洋人だけではありません。ヨーロッパとは遠くはなれたフィジーでも発明されているのです。
フィジーと言えばぴんとくる方もいらっしゃるかもしれませんが、食人、カニバリズムですね。世界的なベストセラーとなり話題になったジャレド・ダイヤモンド博士の『銃・病原菌・鉄(上)1万3000年にわたる人類史の謎 』(草思社文庫)でご存知の方も多いのではないでしょうか。
このカニバリズムの文化とフォークは切っても切りはなせない関係にあるのです。ジャレド・ダイヤモンド博士の研究でもあるように、食人はもともと食料として認識し消費していたわけではなく、呪術的な意味合いで食べていたものなのではないでしょうか。(食料としての認識が先立ち、それを神聖化させただけなのかもしれないですし、どちらが先行していたのかは正直わかりませんね。もはや歴史の一部になってしまっているので憶測でしか語れません。)
フィジーの人々は現在でも基本的には手づかみで食事をします。ですが、人肉に関しては特別にフォークを利用しているのです。これは人肉を素手で食べると皮膚病にかかると信じられていたからなんですね。つまり、人肉を食べることはやはり普通の行為ではなく、恐れをともなった特別な場合に限ったことだったのではないでしょうか。
これを野蛮と捉えるかどうかは個人の考え方によりますが、少なくとも呪術はある社会を成立させるために必要なルールとして機能していることもあるので、私たちの価値観だけで野蛮だと決めつけるのは早計かもしれません。
カニバリズムの歴史は西洋文化が入ることで、その後とても悲しい道を歩むことになるのですが、そちらに関しては『銃・病原菌・鉄(上)1万3000年にわたる人類史の謎 』が参考になります。タイトルにもなっているように、銃という西洋文明が、カニバリズムをただの人肉嗜好へとはしらせてしまった恐ろしい歴史ですね。
これがただの餓えから起きたのであれば、歴史上そんなことは各地で起きてきたことですし、特別なことではないのかもしれません。だけれど、フィジーの場合は、実はそういう意味合いだけではなさそうなのです。食べるものは他にもあるのだけれど、あえて人肉を好んで食べる。多い人は一生の間に872人…。こういう行為が個人ではなく、社会として成立していたということ。そのきっかけを作ったのがとても手軽な道具だったというのは、教訓として覚えておきたいですね。
ちょっと恐ろしい話になってしまいましたが、食卓の文化誌 (岩波現代文庫)で扱う話のなかでゾッとするのはこれくらいです。それ以外の話はとても楽しい食卓文化の歴史ですよ。










