去年のクリスマスあたりに「Kyberセータープレゼントキャンペーン」なるものがTwitter上を流れていた。特にクリプト関連グッズをコレクトしている訳でも、特別興味があった訳でもなかったけれど、それを目にした瞬間に何かが僕の興味を惹きつけた。僕の記憶が誤作動を起こしていなければKyberプロトコルについて調べるために偶然フォローしていただけだったように記憶している。気がつくとコメントを付けてリツートをしていた。きっかけはそれだけのことであり、別段特に気にも止めていなかった。
それから数日後、何気なく開いたTwitterにメッセージが届いていた。
「こんにちは!Kyberセーターのキャンペーンにご参加ありがとうございました!そして、当選おめでとうございます🎉」
え、だれ…🎉ってなに。すべてのコメントに「!」がついてて文字が刺さりそう…普段使い慣れない記号への戸惑いと、とりあえずお返事しなければという焦燥感と、何かが当たったらしいという高揚感と、この「おめでとう感」溢れるメッセージに対して、いつものように淡々と返答するのは申し訳ないから出来得る限りの明るさをふりしぼって返答しよう感のすべてが入り混じった複雑な感情に襲われながらコメントをいそいそとタイプし、希望する絵文字を表示させるのにみんなはこんなに苦心しているのかと感じながら返信ボタンを押した。
「ありがとうございます!とても嬉しいです😆」
このとき人生で初めて僕は絵文字をタイプし、探し当てた中で一番喜んでいそうなスマイルキャラクターを選択して僕の個性のすべてを覆い尽くした。不思議と恥辱という感情はない。あるのは恍惚とした表情を薄っすらと浮かべながら床に鎮座する僕だけだ。
あれから約半月、年が代わり新年の賑わいも落ち着き始めいつもの日常がやってきた。そして今日、成人の日に合わせてKyber.Networkからのクリスマスプレゼントが僕の自宅へと届けられた。白く不透明なしっかりとした厚みのあるビニール袋にほどよく崩れた筆跡で僕の名前と住所とKyberのシンガーポールの住所が綴られている。電話番号あたりに何かを書いた後にボールペンでグリグリと 潰した跡があり、斜め右下あたりに「tel:」と書き直している。日本語を苦心して書いたのか、辿々しい筆跡にはとても好感が持てる。
さっそく中身を拝見しようと思い立ち、意気揚々と袋を開けようとしたがビニールと封に利用したと思われる粘着テープが互いに粘り合うのでなかなか開かない。せっかくの手書き文字を傷つけるのも申し訳ないのであまり強く引っ張ることも出来ない。粘着テープと厚みのあるビニールという組み合わせといい、手書きの文字といい、一体何なんだこれは…「まぁ、とりあえず鋏を」と重い腰をあげてヨロヨロと廊下を歩いていると脳裏を何かが走り抜けていった。あ…まさかだとは思うがこれは…だとすると悔しいけれど僕はまんまとKyberの掌でコロコロと弄ばれていることになる。
プレゼントを受け取った人間が嬉々としながら次にとる行動はあらかじめ予測がしやすい。初めから落ち着いて接することが出来ていたならこんな気持ちにもならずに済んだのに…。ビニールと粘着テープという最悪の組み合わせも、無理にビニールを引っ張ると親しみ覚えさせる手書き文字がちぎれてしまい罪悪感を感じさせるという巧妙な仕掛けも、これはすべて「嬉しい気持ちはわかるが、これは焦らず優しく開封するものだよ」というメッセージを梱包材という輸送に必須な資材にメッセージ性と梱包という二つの機能を両立させたモノ。小粋なミニマルデザインとして表現されているのだ。
まだ封を切ってすらいないというのに、これが新しいユーザー体験を提供するKyberです、と言わんばかりだ。モノからコトへという時代の流れを噛み締めながら、何とか中身を取り出すことができた。セーターだけだと思っていたのだが、セーターの他にも靴下、ステッカー、簡易チラシが同梱されていた。未使用ですよという証拠に「UGRY」と記載された可愛いタグがきちんと付いている。
なんとなく知ってはいたけれど、なかなか前衛的なデザインである。Kyber.Networkを知っている人が見ればこの前衛性をまだ理解していただけると思うが、知らない人から見ればただのダサいやつか尖った色彩感覚の持ち主としか理解されないかもしれない。
新年を迎えてからまだ神社へ詣でていない。僕はKyberに身を包み今年のクリプト業界を祈願する。