あまりにも苦しんだので、悔しいから書き残しておこうと思いました。
(……と思って書いて、明日公開しようと思ったら、ログインできなくなっていました。
せっかく書いたので、公開しようと思います)
この後にも何かの役に立てられたら良いのですが……ないなぁー多分。
現在、以下の動画を作成中ですけれども、上手くいかず。
どうしても上手くいかないところを削除し、別のものにすることを決意。
該当部分は以下。
さらにたくさんの財宝を持っていても、災害で失う可能性も他国に比べて高いですから、そのような理由もあって「無常観という価値観が生まれた」り、逆に「芸術という概念が生まれなかった」りしたのでしょう。
しかし今は、何かをするのに必要な「情報」というものまで、インフラ化し「得放題(取り放題)」となりました。
インターネットのない時代であれば、まずは有力な情報を得ようとするところから、能動的な行動を起こさなければなりませんでした。
そして情報が得られにくい時代でかつ、テクノロジーが未発達な時代では、一つ二つの有力な情報からの行動で巨万の富を得ることも可能でした。
その一例として、紀伊国屋文左衛門の「ふいご祭りの話」が挙げられます。
この話にご興味ある方は『「男は度胸、女は愛嬌」が正しかった時代の話』という記事をどうぞ。
しかし今は江戸時代ではなく、生活に必要な物はほとんど満たされ、必要なインフラもすべて整った状態です。
この状態でかつ情報も取り放題となりますと、むしろ「数多くの情報の中から価値ある情報を評価し、それを選択し、得た情報を分析して上手く使う」という能力が必要となってきたわけです。
つまり、能動的に情報を得る能力よりも受動的に得た情報を上手く使う能力が問われるようになったわけです。
ここまでは情報の話をしましたが、これは「信用」という情報が本体である「お金」にも当てはまる話です。
例えば、日本円は日本の国力という信用が日本円の本体であり、一万円札などのお札や硬貨は、それを扱いやすいように実体化したものです。
つまり日本が貧しくなったのは、お金(本体は信用という情報)を上手く使うことができない、という理由が含まれています。
お金を上手く使うということをもう少し細かく言いますと「使うとなくなる消費ではなく(さらに大きなお金になって戻ってくる)投資をする」ということ、これがお金の上手い使い方です。
投資には、運用をして増やすという金融商品への投資という行為だけでなく、自らの能力に対して投資する自分への投資という行為もありますが、日本人はこれらの投資というお金の使い方が非常に不得手であり、それが貧しさへと繋がっています。
そしてさらに追い打ちをかけるのは、日本以外の欧米の先進国を始め、欧米の植民地になった国々が、日本の苦手なところに上手く対応していることです。
具体的には、欧米では金融商品への投資が日本より優れており、新興国ではリープフロッグ現象を追い風に、個人が自らの幸せを追求する自分への投資に優れています。
(ユーチューブやツイッター等を駆使する自分への投資は人口が多いと有利です)
そのため、それらが不得手な日本は相対的に敗れていると言う状況です。
これを別の言い方をしますと「生産活動が著しく労働に偏っている日本は、それらが分散している諸外国に比べて、著しく不利な状況にある」とも言えます。
引用は以上。
この部分を、以下のように書き直すことにしました。
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命を落とす可能性が高くなるのですから、良くないものとされがちになるのは、仕方のないことだと思います。
このように災害の多い国であった日本では、常に能動的な人かつ労働者の評価が、他国に比べて極端に高くなりがちであると言えるでしょう。
しかし現在のように、平時であれば、生活に必要なものは概ね存在する時代になりますと、一から狭義の生産をする必要性は、以前よりも減りつつあります。
その反面、既に存在するものを評価しなおして、新たな狭義の生産活動をすることは、以前よりも必要とされていく傾向にあります。
その一例として、積水ハウス株式会社と外資のマリオット・インターナショナルが手がける、「Trip Base 道の駅プロジェクト」、が挙げられます。
「Trip Base 道の駅プロジェクト」とは、地域や自治体、パートナー企業とともに、観光を起点に、地域経済の活性化を目指す、地方創生事業です。
これを、先ほどの、「既に存在するものを評価しなおして、新たな狭義の生産活動をする」、に当てはめますと、まず、「既に存在するもの」、とは、その地域の、「自然と、その自然から生まれた食材や特産ひん、あるいは歴史、文化など」となります。
それらを評価しなおして、新たな狭義の生産活動である、「観光を起点に、地域経済の活性化を目指す、地方創生事業」をおこなう、ということになります。
ここで気付かされるのは、日本が持つ、自然とその自然から生まれた歴史や文化というものは、非常に素晴らしいものである、ということです。
恐らくですが、我々が最も強く、持っている、ということを自覚している素晴らしいものは、日本人だけが持つ稀有な価値かんと、その価値かんに裏付けられた、優秀な労働者である国民、というものでしょう。
我々がこれまで発展することができたのは、この日本人の持つ価値かんと、それを持つ優秀な労働者である国民によって、であることは確かです。
このことが成功体験として存在するがために、我々国民は、おのおのが、今、ここから以上の、さらなる努力に努力を重ねることで、現状を打破しようとしてきました。
しかし、これまでの価値かんの延長線上の努力は、むしろ裏目に出てしまう可能性の方が、高くなってきているのではないでしょうか。
現時点で上手くいっている国を調べると、むしろ持っていないものだったからこそ、気付くことができた、ということがわかります。
しかし、さらに逆に考えてみると、日本は自然災害が多いことで、良質の労働者が育まれたのでもあり、大量生産大量消費時代までは、それ故にGDP世界第二位の経済大国になることができた、とも言えます。
今の時代は、それが裏目に出ているわけですけれども、ことわざで言う、禍福はあざなえる縄の如し、であり、まずはこのことをきちんと知ることで、ここから巻き返すことができるでしょう。
↑↑↑↑↑ここまで↑↑↑↑↑
この文章に書き換えたもので、作成してみることにしました。
がんばるぞー、おー……と、一応、言うてみました。ははは。