あけましておめでとうございます。
昨年は、いろいろお世話になりました。
今年は、いきなり他人の褌で相撲を取ります。
(しかも、お二方にお借りしました)
昨年の年末、以下の記事を書きましたが。
今回の記事は上記リンク先のコメント欄に、こすもす様とIMAKARA様に頂いたコメントがきっかけです(ありがとうございました)。
では、本題に入ります。
何故、ALISにブーイングボタンがないのか?
まず一つ目が「評価する人の能力が著しく低い場合がある」ということです。
つまり「本当は良い記事なのに、評価する人に見る目がなかったことで低く評価された」ということが起こる可能性があるからです。
このことに思い至ったのが、上記リンク先の記事でした。
該当箇所を抜粋します。
先日、Amazonのとある書籍に対する評価を拝読し、驚きました。
要約すると以下のようなものだったからです。
「この本はとっても素晴らしいです。
本当に出会えて良かった、感動しました。
ただし誤字脱字が三か所もありましたので、星二つとします」
~中略~
そんなに素晴らしい内容なら多少誤字脱字等があっても、そこまで低い評価にならないのではないでしょうか???
1~5の五段階評価ですと、標準は「3」になりますよね。
内容が非常に素晴らしいのであれば、誤字脱字があっても標準を下回ることはないはずですので、その評価は正しくないのではないかと言わざるを得ません。
これをALISで言えば、どうなりますでしょうか?
もしもブーイングボタンがあれば、投げ銭もせず「いいね」も押さずにブーイングボタンのみを押す、という状態になります。
さすがにこれは評価が低すぎて正しい状態ではありません。
が、現在の「ブーイング用のボタンがない」という仕様であれば、このような状態になることはなりません(最低で「いいね」も投げ銭もない状態なので、それ以上評価を下げる手段がありませんので)。
それともう一つ「能力の問題ではなく、明らかな悪意によって低い評価を付けられる」という可能性もあります。
(逆に考えると「書き手の意図しなかったことが高く評価される」という可能性もあるわけですが、これは望ましいことですね)
具体的な例を一つ考えてみました。
「乗馬のテクニックについて」の記事です。
日本では乗馬や馬術の競技人口って少なそうですよね。
書かれたその記事を読んで、その良し悪しがわかる人は限られます。
つまり「これは良い記事だ」と正しく評価して「いいね」を押してくれる人は、かなり少なくなるわけです。
ただし「乗馬はわからないけど、撮影された写真の風景やそれを描写する筆力が素晴らしい」という理由で、「いいね」を押してくれる人がいるかもしれません。
写真や文章が美しく、その記事を読むと幸せな気持ちになるというのは素晴らしいことであり、それもまた価値あることです。
この「書き手の意図しない良いところ」を価値あるものと評価して「いいね」を押してくれる人もいる、これについては何の問題もなくむしろ良いことだと言えます。
しかしこの逆はそうではありません。
乗馬のことは何もわからないが、お金のかかりそうな競技だと言うことはわかる。
その上、その記事の内容からも、非常に裕福そうな人が書いていることがわかる。
このことをただひたすら妬んで、低評価を付ける。
……そういう人もいるでしょう(残念ですけど)。
何が良くて何が悪いのか?
その判断の基準となるものは「人類の未来」です。
少々、大げさな表現ではありますけれども。
しかし、わかりやすい基準ではないかと思います。
◎人類の未来にとって良いものは良い、悪いものは悪い
その上、未来になればなるほど時間の流れが益々速くなって(=単位時間当たりにできることが増えて)いくわけですから、この基準を取り入れて損することはないのではないかと、個人的には思っています。
ちと、大げさですけどね。