ちょっと前までの最新の図がこちら。
ここに「自由民向けと非自由民向けに分けて、娯楽(本来のサーカス)を真ん中に追加」してみる。
すると、以下のようになった。
図は以上。
ここからはメモ。
ネットがインフラ化→お客さん(需要側)の利益が得やすくなり、立場も強くなって主導権も供給側から移動。
今回に追加した娯楽の中に、大衆向けの音楽がある。
ついでにこれも考察してみると、以下。
その一、これまで手段(芸能事務所などに所属等)がなくて、埋もれていた天才的な人(例:米津玄師さんや、ヒャダインさんなど)にとってはありがたい時代であり、その音楽を聴くことのできるお客さんにとっても同様。
その二、歌詞は素晴らしいけど曲がちょっと……またはその逆の人が、自分に欠けた側の才能のある人をWebで見つけて、ユニットを組んで作品を世に出す場合、プレイヤー本人もありがたいし、お客さんにとっても同様。
その三、歌詞も曲も素晴らしいがちょっと古くてムード歌謡的、逆にそういう歌を歌っているユーチューバーに楽曲を提供し、そういう歌が好きなお客さんに向けて特化する場合、これもお客さんにとっても同様。
というわけで、まとめると「(需要側であるお客さんと、供給側の)優れた才能を持っているが、手段を持たなかったプレイヤーにとっては、良い時代」である、と言える。
そうではないが、どうしても音楽で身を立てたいと思う人は、評価する側に回るという方法も追加されている。
しかしこの場合は、評価する力に加えて、それを上手く表現して伝える力、お客さんに対しての共感力とか、そういう能力が必要となる。
というわけで、これまで必要とされていた手段、つまり芸能事務所に所属しレコード会社と契約して……というところが不要となり、その「手段の会社で働いていた人」は困るし、その手段があることによって「新規参入者からの競争を免れていた既存のプレイヤー」も困る、ということになる。
この人たちを言い換えると「既存の供給側の人たち」であり、需要側が強くなった分、力を失った、とも言える。
以上。