
「あれ? 何でこう書いたんだったっけ?」
……てな感じで、自分でもわからなくなる時があります。
(作成する時はかなり時間をかけて考えて、やっとできたーと思っていたら後になって、何でそう書いたのかをすぐに思い出せなくなっているという)
そんな自分用でもありますが、質問されそうなことを三つ挙げてみました。
『Q1, 何故、正三角形で表すの?』
単純に数の話で「生物の数が最も多く、個人は一人」だからです。
なお、人文科学の「主に個人」というのは、たとえば歴史上の人物で近藤勇は個人ですが、新選組が何を成したかということを考える場合は「新選組という一つのユニットの中に複数人」となりますので「主に」を上に付けました。
『Q2, 同じ「人」をどう分けているの?』
個人またはユニットか(先ほどの新選組など)、集団を一つのものとして扱うのかの違いで分けられています。
人文科学の対象は「個人やユニット」であり、それぞれが集まって歴史や文化ができているとみなしますが、社会科学の対象は「国や自治体などの集団」であり、その集団に対して主に統計的な手法で研究します。
ただし「自然に対しては、同じ人間ではないか」という解釈もあり、人文科学と社会科学を分けない分野の分け方もあるそうです。
『Q3, 哲学って「現実」ではなくない?』
古くからある哲学は、概念(一般的に幅広く当てはまるもの)や観念(個人の頭の中にあるもの)のみを対象としていますが、後の時代にプラグマティズムという実践的なアメリカ合衆国の哲学が出てきました。
プラグマティズムとは、概念や認識をそれがもたらす客観的な結果によって科学的に記述しようとする哲学で、実用主義、道具主義、実際主義などと訳されます。
で、率直に申し上げて、私はこのプラグマティズムがよくわかりません。
以前に「アブダクションと帰納法と演繹法」という記事を書く時にがんばってはみたものの……やっぱりわかりよくわかりません。
じ……実践的って書いているから、全部が全部、概念や観念の話ではないのかもしれない……よね?
そう思って、とりあえずこの書き方にした……という情けない話でしたははは。
しかしここまで考えてみて、思ったのは「もしもプラグマティズムに何かリアルなものが含まれていたとしても、全体として見たらほとんど概念や観念になるのでは?」ということです。
そしたら、概念・観念の方に合わせておく方が良いかなーと。
細かいことを言えば概念は普遍的で、観念は個人の主観的なものですから、順番としては観念の方が上(数が少ないから)に位置することになります。
というわけで、図を更新します。
と、ここまで考えたところで。
この図の下部の「形式科学」と、その代表である「数学」が私には足りないなと思ったことがありました。
……が。
すっかり忘れていたけど、プラグマティズムもわからんまま放置しとったわー。
アブダクションがわからんままだとやばいのでは、ということは薄々、感じていますけども……いや、わからんものはわからんし……どうしよー。
とりあえず「思い出すことができて良かったー」と思うことにします。