かなり前に、以下の記事を拝読して思ったことです。
元の記事は昨年の四月ですので、もうすぐ一年近く経ちますけれども。
上記の記事をまとめると、環境問題として捉えておられる面が強いと思いました。
本題に入る前に、養老孟司先生の言う「世界が半分になった」について。
上記リンク先の記事を引用させて頂きます。
養老さんの定義にならうと、自然とは「脳で考えたものを具体的に形にしたもの」以外のものということ
つまり、この逆が自然ではないもの=人工的なもの、ということになります。
さすが養老先生、理系のすごい先生なのに文系の深ーい話をされていますね(←謎の上から目線。笑)。
以前、別の記事でも触れていましたが、欧米の学問は日本のような文系と理系のような分け方ではありません。
人がつくった(=アート)のか、あるいは神様がおつくりになった(=ネイチャー)のか、という分け方をしています。
(「artifact(人工物)」あるいは「artificial(人工の)」の「art」が、人工という意味の接頭語にもなっています。)
「世界が人工のもので埋め尽くされて、自然が半分になった」
これはそういう意味を踏まえて仰っているな、ということがわかると養老先生のすごさがさらにわかりますよね。
ですが、養老先生、最も大事なのはそこじゃないと私は思いますよ?
確かに環境問題は大事(だいじ)です。
しかしそれ以上の大事(おおごと)が、先生の仰る「世界が半分になった」に含まれていると私は思います。
それ以上の大事とは何か?
それは「既に需要の半分がなくなっている」ということです。
そして恐ろしいことに「その需要の中には、労働の需要も含まれている」ということを、私は主張したいのです。
しかしまだ半分はあるじゃないか、と思いきや……少子化で人口は増えていませんから、既にほとんど全部なくなっている状態に近いのではないでしょうか。
そう言えば昔、ALISでお世話になる前に以下の記事を書いていました。
上記リンク先の一部を引用します。
うちの母親も言うてましたわ。
「世の中便利になったねぇー。すごいねぇー」
って、無邪気な笑顔で。
私はそれを聞くと
「だから今の若者が困ったことになっとるんやないか!
そこまでの需要が全部、喰われてもーてんのやー!」
てな感じで、内心むちゃくちゃ腹が立つんですけど。
でも、それは母のせいではないですから、怒ってもしゃーないんですけどね。
しかしこれを読むと、やっぱり養老先生は違いますねー。
世の中便利になったねぇーすごいねぇーて、なーんも考えてませんやん。
だけれども「自然がー」なーんてことが言えるのは、余裕のある世代だからっていうのもあるんじゃないですか?
自然も大事だけど、人の方がもっと大事なんじゃないですか?
……おっと、いかんいかん、当時の怒りを思い出してしまった。
それはさておき、養老先生は確かに大変すばらしい先生ですが、ご専門は医学博士でお医者様なわけですよ。
どんなに著名な先生と言えども、専門外のことは専門外ですから。
一般の人と同様に「どういうことを仰っているか」ということを最も重視しなければなりません。
素晴らしい先生が言うから正しいと、鵜呑みにしちゃだめなんですよね。