
※サブタイトルは『リベラルアーツ教育は何故重視されているのか?』です
前回『リベラルアーツ教育とは何か?』では、代ゼミ教育総研note様の以下の記事を引用させていただきました。
そして「米国のジェネラル・エデュケーションのシステム(人文科学、社会科学、自然科学の三分野から科目を選ばせる)に目を奪われ、“表面的”な部分だけが導入された」のが、現在の大学の状況に至っている原因であると仰っていました。
さらにその根本的な原因として「もともとリベラルアーツを理解する土台がなかった」ことも挙げておられました。
ここら辺が「実に皮肉な話だなー」と思ったので、追記します。
何がどう皮肉なのかと言いますと、これこそがまさに「リベラルアーツ教育が必要だったことを表しているから」ですね。
言い方を変えますと「リベラルアーツ教育は“何故”の部分に着目し、それを汎用的に使うための学問であるから必要だ」という話になります。
“何故”必要なのかを理解せず、システムさえ同じなら良いんだろ的に「一般教養」を導入したから、上手く機能させることができず事実上縮小されて終わった(も同然の)状態になってしまったわけですから。
ただ、現在はこんな有り様になってしまいましたが、物がないかまたは足りない時代であればその分、専門課程に時間を割くことができたので逆に良かった……とも、言えるのではないかと思います。
この時代までは、大学で「正解とされる答えをいち早く学び、その答えにいち早くたどり着ける」という人材が優秀とされ、就職先で「より良い商品を、より安く、より多くのお客さんに供給できる(ために、努力と根性でがんばってくれる人はありがたいが、優秀ならばさらにありがたいという)」人材が求められていましたので。
しかしテクノロジーの進歩によって、生活に必要な物は概ねお客さんの手元にある今となっては、お客さんの好みに応じた物、すなわち「良い商品を、相応しい価格で、その価値のわかるお客さんへ」を供給する必要があります。
つまりこの「良い商品を、相応しい価格で、その価値のわかるお客さんへ」を供給することのできる人材が求められるようになりますが、この場合「とにかく努力と根性でがんばって働いて、物を生産すれば良い」とはなりません。
ここで話は変わりますが。
私の母はかつて、優秀な高校教師でした。
母はそこそこ良い大学を出て、そこそこ教えるのが上手かったので、そこそこ偏差値の高い高校に赴任することが多かったのですが、稀に大学進学を希望する生徒が半分に満たないクラスで教えることもありました。
そんな時でも、母は決して授業に手を抜くことはありませんでした。
「就職をした後で、やっぱり大学に行こうと思う生徒がいるかもしれない」
というのが、その理由です。
さて、私はそんな優秀な社会科教師であった母に質問をしました。
その質問は……
イギリスの産業革命で蒸気機関が発明されたが、発明したニューコメンではなく改良したワットの方が試験では問われるが、これは何故か?
……というものです。
(正確に言えばニューコメンも蒸気機関を実用化した人であり、紀元前2世紀ごろの学者ヘロンの描いた「アイオロスの球」が世界初の蒸気機関と言われているらしい)
母の答えは「試験を受ける生徒が間違いやすいから」でした。
さらに食い下がると「ワットの改良があまりにも画期的だったから(でも、その内容は理系の話だから知らなくても良い)」と答えてくれましたが、正直な話「いや、それぐらいのことは予想できるけど……」という微妙な気持ちになって終わりました。
(ちなみに同じ質問を学校の先生にもしましたが、同じ答えが返ってきました)
インターネットがインフラ化した時代になり、あの時の私が本当に欲しかった答えを自分で調べて得ることができました。
それは……
ワットの改良で上下運動が円運動になり、それが大きな功績となったから
……というものです。

蒸気機関が円運動になることで、それを応用した蒸気機関車や蒸気船の発明や実用化にも繋がり、交通革命が起こりました(紡績や織機の動力源にもなったけど)。
つまり、試験で問われる理由は「(発明者のニューコメンよりも)改良をしたワットの方が、人類に多大な貢献をしたから」ということになります。
というわけで、長くなりましたが。
「正解にいち早くたどり着くという能力を、入学試験に使うことで養う」
ということをやっていた昭和の時代では、私の母は優秀な教師でした。
しかし今の時代に優秀とされるのは……
「歴史などの学問を学び、その知識を汎用的に使うことで、自らの人生をより幸せなものに応用し、他者の幸せにも貢献できる生徒を育てる」ことのできる教師
……ではないかと。
この「知識を汎用的に使う」というところで、リベラルアーツ教育が注目されているわけです。
もちろん、今の先生は日々の仕事で手一杯であり、無理を言っていることはわかっています。
何でそうなったのかと言えば「そもそも戦後の混乱の中で教育面でも問題があって、それが埋もれたままになっていたのをやっと気付いたのが最近」という話ですので。
となりますと「知らないことを知らない」って怖いなーという結論で終了かなぁー、と(←また使い回しかーい!)。
その使い回しの「知らないことを知らない」の記事は以下です。
こちらの記事もよろしくお願い致しますm(__)m










