恐らくですが、三十年以上前の話です。
私がまだ学生だった頃に、著名なニュースキャスターだった故・山川千秋氏の著書を拝読したことがありました。
(恐らく『死は「終り」ではない 山川千秋・ガンとの闘い一八〇日』だと思います)
そこで山川氏がアメリカにお住まいだった時のエピソードがありましたが、それが社交辞令についてのお話だったのです。
そのお話を要約すると、以下です。
~~ここから~~
山川氏のご一家がアメリカにお住まいの頃、当時小学生だった息子さんの同級生が訪ねてきました。
息子さんの同級生のアメリカの小学生は、夫人に以下のような挨拶をしました。
「おはようございます、ミセス・山川。今日も相変わらず美しいですね」
その挨拶をされた夫人は驚いてはいましたが、やはり嬉しそうだったそうです。
それを見た山川氏は驚きと同時に、日本では学校で「巧言令色鮮し仁」と教えていたことを思い出して、日本の将来を危惧したそうです。
~~ここまで~~
正直、この文章を読んだ私も驚きました。
なななんと、小学生ですよ、小学生。
小学生が社交辞令を駆使しているわけですよ。
もちろんエリートなご家庭のご子息ではありますけれども。
小学生が「今日も美しいですね」って、アメリカ怖ぇーと思いました。
それに対して日本では、孔子の「巧言令色鮮し仁」を習っているわけですよ。
いや、このこと自体が悪いと言いたいわけではありません。
社交辞令を駆使して近寄って来る人の中には、上手いこと言って余計な物を買わせようとする人のみならず、中には詐欺師のような犯罪者も含まれているのですから。
つまり「巧言令色鮮し仁」を学んで、警戒しなければならないのは当然のことです。
ただしですね、これは「社交辞令を使う方と同時に、学習しなければ意味がない」のではないのですかと。
私はそのように思うわけです。
で、当時の山川氏が危惧されていた、日本の将来について。
山川氏の慧眼恐れ入りました、という状況になっています。
ここら辺の話は以下の記事でも触れましたので、今回は割愛します。
ご興味ある方は、こちらもどうぞよろしくお願い致します。