電子書籍『ゲームやアニメ、漫画でこれからの生き方を学ぶ』の『第六章、アニメ版で勉強した具体例「巨人の星」』を無料公開します。
引用して別の記事を書きたいと思いましたので。
この電子書籍では、ゲームやアニメ等の娯楽作品でも学べることはたくさんある、ということを書いているわけですけれども、その一例としてこの「巨人の星」という作品を挙げてみました。
今回はアニメ版「巨人の星」で金融の知識を得られた話をします。
何故アニメ版という書き方なのかと言いますと、この「巨人の星」は漫画が原作で後にアニメ作品になったものだからです。
(「巨人の星」は主人公星飛雄馬が、かつてプロ野球球団「読売ジャイアンツ」の選手だった父親星一徹により幼年時から野球の英才教育を施され、父と同じ「読売ジャイアンツ」に入団し、ライバルの花形満や左門豊作らを相手に戦うという作品です)
拙著『ニート・引きこもりで悩む親御さんへ』で既に書いていますので引用します。
~~引用ここから~~
お金には、交換機能(決済機能)、価値保存機能、価値尺度機能、という三つの機能と役割があります。
「交換機能(決済機能)」を平たく言えば、お金は「何でも交換できる(買える)券」です。この機能が最もわかりやすい定番のものでしょう。
「価値保存機能」はその名の通り、お金を「価値を損なわないように保存できる券」とする機能です。
例えば売り物が食品など、そのままだと腐って食べられなくなってしまうものを早く売ってお金に換えておけば、その時の価値をそのまま保存することができます(お金は腐りませんので)。
この二つは比較的すぐに思い付くことのできる機能だと思います。
しかし最後の「価値尺度機能」は如何でしょうか。
私にこのことを教えてくれたのは、テレビアニメ番組「巨人の星」の登場人物、花形満でした(もちろん再放送ですよ再放送。リアルタイムじゃないです。ここ重要・笑)。
「巨人の星」は有名な漫画原作のテレビアニメ番組で、主人公は巨人の選手である星飛雄馬です。
良く登場するのがライバルのイケメン超金持ち、阪神の花形満ともう一人のライバルの貧乏で見た目もあまり良くない苦労人、大洋の左門豊作でした。
それは年俸交渉の話で(今回の話に主役の星飛馬は出てきません)、ライバル二人がそれぞれ球団から提示された金額を不服とし、交渉が決裂する場面です。
まず大洋の左門から。その理由は「亡くなった両親の代わりに幼い弟と妹を養わなければならないので、この金額では足りない」というものでした。これは非常にわかりやすい理由で、お金の機能で言えば「交換機能(決済機能)」の話です。
その次に阪神の花形もまた、提示された金額に対し首を横に振りました。しかし花形は左門と違って、大金持ちのぼんぼんです。
というわけで断られた球団側のおじさんが「花形君はご実家が裕福なのに、そんなにお金が欲しいのか!」と絶叫します。
それに対しての花形の答えは「年俸は僕の野球選手としての評価です。それがこんなに低いはずはありません!」でした。
結論をここで書いてしまいますと、これはお金の「価値尺度機能」を表わす一例だったのです。
~~引用ここまで~~
要するに花形が言いたかったのは「何でも交換できる券としてのお金は要らないが、世間の評価を表わすものとしてのお金は欲しい。この金額では自分の実力に相応しくない」という話でした。
野球選手では実力のある選手の方が年棒は高くなりますので、自らを実力の高く評価している花形はその金額では足りないと判断したことになります。
世間では、この「お金の価値尺度機能」を利用し、ありとあらゆるものの価値を評価しているわけです(もちろん中には評価することができないものもありますけど)。
例えば本革の鞄が合皮の鞄よりも概ね高い値段が付けられていることで、本革の鞄の方が良いものであるという判断ができます。
とはいえ、中には合皮なのに高いブランドの鞄もありますが、このブランドであればこのぐらいの値段が付いているのは妥当であると判断する人が多いからこそ、そのような値段が付いているのです。
この「お金の価値尺度機能」ですが、このことをアニメ版「巨人の星」の花形満に教えてもらうまで、当時私の周りにいた大人は誰も教えてくれませんでした。
特に母は「漫画を読んだりテレビを観たりするとバカになる」と言っていたのですが、まさしく漫画が原作のテレビアニメ番組にこんな大事なことを教えてもらったわけです。
さて、私はこの『ニート・引きこもりで悩む親御さんへ』を出した後『嗜好は情報化する』という電子書籍を出しました。
そこでは「お金にも価値の分散化が起きている」上に、時代やテクノロジーの進化によって「お金よりも時間が貴重になっている」ことについて書きました。
ざっと説明しますと、ポイントや電子マネーに仮想通貨という現金以外のものができたことで保存や決済手段の選択肢が増えた上に、時代が進化し何をするにしてもかかる費用が安くなり、お金をどういう物やサービスに換えるかという選択肢も大幅に増えたことで、結果的に手元の現金は以前より少額でも良くなっている、という話です。
具体的に言えば、例えば私が学生の頃は海外旅行をする時の費用はかなり高かったため、それなりの貯金をしなければならないのは当たり前でした。
しかし今は当時とは違って格安の航空会社が存在しますし、それに伴って昔からある老舗の航空会社の商品もかなり安くなっています。
この話について拙著『嗜好は情報化する』の一部を引用します。
~~引用ここから~~
インターネットがインフラ化する前の大量生産大量消費時代までは、価値観の多様化は今ほど見られませんでした。
もちろん当時も高級品や趣味のものに拘りを持つ人もいましたが、今よりも数少ない珍しい人だったかと思います。
そしてそういう時代だからこそ、標準的な価値の尺度としてのお金の意味はより大きかったし、価値もより高かったのではないかと思います。
さらに言えば、この時代では今よりもできることが少なかったがために、集団で得意とするところをそれぞれが持ち寄って組織化し、その状態で一斉に働いて利益を稼ぎ出すのは非常に正しい方法でした。
そして皆と一致団結するためには価値観を共通化するのは良いことで、その最たるものが「お金」です。
「お金が何より大事。そのお金のために一致団結してがんばって働こう!」という、そんな感じですかね。
この時代までは日本人の持つ国民性がこの形に非常に良く合っており、GDP世界第二位になるまでの大成功を収めました。
しかし世の中が進歩した今、日本人の国民性は今の世の中には合っていない上に、そのことに気付いている人も少ない状態です。
~~引用ここまで~~
お金の価値が相対的に下がっているのは「標準的な価値の尺度として存在していたお金が、大量生産大量消費時代の終焉によって、その役割の重要度が下がったこと」と、お金の重要度が下がった分「その人にとって価値のある重要なものが、お金以外の別のものに移ったこと」によるものです。
今や世界中でこのような価値観に移行しているのに、日本人だけ以前と変わらずお金のみをありがたがっており、それ故に起業や投資(自分への投資も含む)に消極的になって余計に貧しくなり、さらにお金をありがたがって……という、そんな悪循環に陥っているのではと私は思います。