前回で「学校の勉強なんて役に立たない、何の役に立つの?」と子供に言われた時の答えの例を四つ(私の答え三つと弟の答え)、まとめてみました。
その中で最もおすすめなのは、弟の答えだったのではないかと思います。
その理由を画像にすると以下です。
(補足しますと、単に説得をするだけなら学校で習ったことは必要ないですが、説得をして弟にお金を出させるところまでを目的とするなら、必要となります。
何故なら、上手い説得とは相手を全否定するのではなく「相手が利点と考えているこういうところは自分には合っていなかった、だからこのようにしたい」という、相手に合わせて相手を納得させるものだからです)
つまり、この答えの中には「お金を出してもらうには、お金を出す相手の立場を考える必要がある」というものが入っています。
ここで言う「お金を出す相手の立場」は父親である私の弟ですが、学校を出て働くようになったら考えなければならない人が含まれていますよね。
もちろん「お客さん」です。
はっきり言って私は、これからの時代を生きるために不可欠な「自分以外の他者の立場を考える」という教育が、日本ではまだまだ足りないのではと危惧しています。
必要な物やサービスがまだまだ足りない時代は、生産してそれを店頭に並べて置くだけで勝手にお客さんが買ってくれていました。
この状況では、お客さんの立場はさほど考えなくても売れますし、それが会社の利益になってそこから働く人の給料になって毎月振り込まれます。
その状態であれば一般の労働者は皆、その会社に与えられた目の前の仕事をがんばるだけで、そこそこお金持ちになることができました。
しかしそれは、昔の話です。
今は、目の前の仕事を一所懸命にがんばって優れた商品を造って並べても、お客さんに「(もう持っている、などの理由で)要らない」と言われたら売れません。
お客さんに売れないものはお金にならないですから、以前のような金額の給料は発生しません。
そしたら雇った後に支払う給料も少なくなるどころか、雇わなければならない人自体も少なくなります。
となりますと、お客さんが「これは必要だ」「これは欲しい」と思って買ってくれる商品を生産する必要があります。
従来の日本の教育にも、相手の立場に立って考えるというのはあります。
「自分が相手の立場に立って、されたら嫌なことはしない」または「してもらったら嬉しいと思うことをしてあげる」というものです。
が、この場合は「相手=自分自身」に限られるという不十分な状態です。
さらに問題なのは、この教育はかつて女児向けだとされていたことです。
(日本の権力者層の男性に、この古い教育を受けた人は多いでしょうね)
自分はこの世にただ一人の存在ですが、自分以外の他者はそうではありません。
「自分以外の他者でかつ、お金を出してくれる人の立場を考えた上で、自分のとってより良い結果を引き出すことを目指す」
弟の答えには、日本の教育上まだまだ不十分なところが含まれているのです。
以上が、私が最もおすすめする「学校の勉強は何の役に立つのか?」と問われた時の答えでした。
ここでおまけとして、最もおすすめしない答えを一つ。
以下は私の正直な気持ちです。
「勉強することは楽しいこと。
そのために生涯を費やしても良いぐらいに楽しいこと。
しかしそこまでたどり着くためには、基礎である学校の勉強が必要です。
だから、やっておいて損はありません。
そのためにお金を出してくれる人がいるんだから、これはもうやらない選択とかあり得ないでしょう」
そして今にして思えば、学校の勉強は「受験に必要だから」で嫌々やっていたから全然楽しくなかったのではないかと。
学校の勉強もやり方を工夫したら、もっと楽しかったんじゃないかと思うのです。
数学が大嫌いで苦痛でしかなかったこの私が、成人してから二進数を勉強した時には、ものすごく楽しいと思いました。
正直、勉強がこんなに楽しいものだったなんて、何で誰も教えてくれなかったんだろう、人生損してた……と、ちょっとだけ当時の大人を恨んでいます。
(しかし「楽しいぞー」と言ってくれる人がいたとしても、それを当時の私が素直に信じたとは思えないので、結果は同じだろうけども)