
少し前に、中原中也の詩「月夜の浜辺」を知りました。
それも詩とか小説を扱う文芸のジャンルではなく、全然違う本でした。
いや、こういうの大好きなんですよね。
本来の使い方ではない使い方をする、という。
その気持ちが高じて、電子書籍「ゲームやアニメ、漫画でこれからの生き方を学ぶ」で、漫画「巨人の星」でお金の機能を学べるという話を書いています。
ALISでもこの話は無料公開していますので、ご興味ある方は是非m(__)m
というわけで、本題に戻ります。
中原中也の詩「月夜の浜辺」を以下、ウィキソースより引用します。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを、捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
月に向かつてそれは抛れず
波に向かつてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
冒頭付近で、以下のように書いていましたが。
いや、こういうの大好きなんですよね。
本来の使い方ではない使い方をする、という。
この詩で言えば「それを拾つて、役立てようと 僕は思つたわけでもないが」と「指先に沁み、心に沁みた。」というところが相当します。
こう言っちゃなんですが、詩というものそれ自体が、生活のために役に立つものではありません。
でも詩や小説など文芸だけでなく、文芸以外の芸術はすべて「心に沁み」るものであり、他の生物とは違って人だけがわかる大切なものです。
しかしそれを「役に立つように、使うこともできる」ということも、私は声を大にして言いたいのです。
では、私はこの詩を何の本で知ったのか?!
……は、次回とさせて頂きますm(__)m