プレジデントオンライン様の以下の記事を拝読しました。
昨今では「リスキリング」「リカレント教育」あるいは「学び直し」とか、良く言われておりますよね。
この「リスキリング」「リカレント教育」「学び直し」というのは、概ね仕事に関係のあるものを指します。
というわけで、現在は世間様の仰る仕事をやっていない私には一切、関係のない用語となるわけですけれども。
そうなると私は「仕事もしない学ばない怠け者」に、なりますけれども。
でも、他人が何と言おうと私は、自信満々で「学んでいる」と言います。
こんなもん自己申告でええやないすかぁーという、それが私の考えです。
と、そこでですね。
上記リンク先の記事で、以下のような記載がありました(引用します)
「他者への信頼の無さ」は、言い換えれば、日本人が「社会開拓力」を持っていないことを意味します。元々知り合いではない人たちと新しく信頼関係を築いていくこと、大人の学びにとって重要な他者とのつながりを作っていくことが、この国の国民は極めて苦手だということです。
しかもさらなる問題は、こうした他者への信頼の欠如は、日本人にはとっくに「当たり前」のことになっていることです。私たちは、電車や町中で人に話しかけたりしないことを当然のものとして生活し続けていますが、海外旅行に行けば多くの人が話しかけてきます。もはや他人に話しかけて「社会開拓」などわざわざしなくても、SNSやオンラインゲーム、音楽や映画のサブスクリプションなど、インターネットを通じた各種のエンターテインメントによって、ある程度楽しく暮らせてしまいます。
いや、そこでインターネットという便利なものがありますやんかと。
上記で言う「SNSやオンラインゲーム、音楽や映画のサブスクリプションなど、インターネットを通じた各種のエンターテインメント」を、学びに使えばええやないですかと。
そう言うと、恐らく「いやいやいや、それがなかなかできないから、リアルな人間関係で学ぼうとしているのやないか」という反論が返ってくるでしょうね多分。
繋がりは繋がりで必要ですし、そこのところは否定しません。
ただし学びの話で言えば、別の先生の別のご意見もあります。
上記リンク先は私が以前に書いた記事ですが、そのさらにリンク先ではUTokyo OCWという、東京大学の講義資料を無償で公開するWebサイト様内の記事にリンクさせて頂いています(公衆衛生学、老年学がご専門の村山洋史先生の講義)。
上記の私の記事から以下、引用します。
しかし一方で「弱いつながりの強み」というものもありまして、つながりが緊密な人よりも「弱いつながりでつながっている人の方が、有益で新規性の高い情報をもたらしてくれる可能性が高い」という考え方もあるそうです。
何故ならば「家族や親友のような普段から近い付き合いの人は考え方が似ている人が多く、得られる情報も似通った情報となる場合が多い」一方で、たまにしか会わない人は「新規性の高い情報など、普段やり取りしている人とは別の情報をもたらしてくれる」からです。
言い換えると、Webだけの比較的弱いつながりであっても、自宅(ゲマインシャフト)でもなく、仕事場(ゲゼルシャフト)でもない「サードプレイス(自ら選ぶ自らが心地良い場所。アメリカの社会学者オルデンバーグ氏が提唱)」を持っていると良い、という話になるかと思います。
というわけで、何が言いたかったのかと言いますとです。
……腹立ったから反論したったわー。わはははは!
(って、小学生かお前は……という恥ずかしいオチでした)