前回の以下の記事より、ラグジュアリーの話をしようと思ったのですが。
今回、新たな学びがありましたので、皆さんにも共有致したいと思います。
ALIS内であび(abhisheka)様の以下の記事を拝読致しました。
この記事のテーマは「ろう文化宣言」で、それも興味深いお話でありおすすめですけれども、ここでは別の話をさせて頂きます。
そこに「ピジン(言語)」と「クレオール(言語)」の話が出てきます。
少々長くなりますが、該当部分を以下に引用させて頂きます。
1970年代も入り「トータルコミュニケーション」の理念が導入された。これは、コミュニケーションの成立のためにはあらゆる手段を用いるといった方針であった。そのため、音声言語を話しながら手話の単語を並べるシムコム(日本語対応手話)が、一部の教育現場で用いられることになった。
すなわち、歴史上長い間、手話は音声日本語の習得を妨げるものとして弾圧されてきた。さらにその必要性を認めた後でも、手話は常に不完全な日本語とだけ捉えられてきた。だから手話を洗練させることとは、日本語にできるだけ見事に対応し、同一の表現をすることを可能にすることだと考えられてきたのである。
だが、「ろう文化宣言」は、手話は日本語とは別の文法、構造を持った、一個の洗練された完全な言語であると宣言した。そして音声日本語と対応した「手話」だと考えられてきたシムコムについては、「実は手話ではない、日本語と手話との間に生まれたピジンに過ぎない」と宣告したのである。
1995年の「ろう文化宣言」を最もショッキングに受け止めたのは、シムコムの使用者ではないだろうか。シムコムの使用者には、それを正しい手話だと信じて学んできた「聴者」である教育関係者・通訳ボランティアや、中途失調者、難聴者などがいる。言語学者らの研究によると、日本手話を母語としない人々が、手話の単語を音声日本語の文法にあてはめて並べただけのシムコムは、言語学的には「ピジン」に属する。ピジンとは共通の言語を持たない者同士が、間に合わせに形成した不完全なコミュニケーション手段としての言葉である。
たとえば、Aという言語を母語とする集団と、Bという言語を母語とする集団が、英語を話す支配者の下で仮に英語を用いてコミュニケーションせざるをえなくなったとき、ピジン・イングリッシュを話す。ピジンは構造的な不完全さを抱えており、言語としては未完のものである。(ところが、そのピジンを話す地域ですら、その第二世代の子供たちは、言語を形成する本能にしたがって、完全な構造を備えた言語を形成する。これをクレオールと呼ぶ。)
というわけで、植民地で親の世代に発生した「ピジン言語」が、子孫に受け継がれて「クレオール言語」になる、というのが最も有名なものです。
(クレオール自体に以下の意味があります。
フランス語(Créole)、スペイン語(Criollo)、ポルトガル語(Crioulo)においては、「宗主国生まれ」に対する「植民地ないし副王領生まれ」を意味する形容詞。 人と物、両方に用いる。 人に用いる場合は、人種を問わず植民地で生まれた者はクレオールと呼ぶ。
上記、ウィキペディアより)
ちなみに、日本語にも「クレオール言語」があるそうですよ?
この話にご興味ある方は、日本語教師のはま様の以下の記事をどうぞ。
というわけで、そろそろオチにいきたいと思います。
この記事を書くきっかけとなったのは、キャリコネニュース様の以下の記事です。
なななんと、タワーマンションで「ピジン言語」が生まれちゃう、という話です。
そこで「ピジン言語」を含む該当箇所を、以下に引用させて頂きます。
異なる原語が混じる中で生まれる言葉は「ピジン言語」と呼ばれたりもする。たとえば、欧米系移民と日本人移住者が入り交じって住んでいた小笠原諸島の小笠原方言は、食べ物が辛いことを「あつい」と表現したりするそうだ。熱い・辛いという両方の意味がある英語の「hot」が由来である。
英語の「hot」の意味の中には「熱い」と「辛い」の両方があるわけですが、日本語だとそれらは別々の単語となります。
前回の記事で言えば、英語は「history(歴史)」と「story(物語)」は別々の単語ですし日本語でもそうですけど、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語には「歴史」と「物語」の両方の意味があります。
いやーいろいろ掘り下げていくと、面白いもんですよねー。
……って、えらい脱線してもーたがな……。