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これまでに「ラグジュアリーとプレミアムの違い」について書いた記事はありますけど、実は有料化しちゃっていたんですよねー。
理由は「電子書籍『幸福論~ただし、令和時代を生きる日本人専用~』で採用するから」というものでした。
ただしその『幸福論~ただし、令和時代を生きる日本人専用~』はHiÐΞ版のこちらに限り無料で読めます(ご興味ある方はよろしくー)。
で、上記リンク先の記事をまとめると、ラグジュアリーとプレミアムの違いとは以下です。
・プレミアムは付加価値を持つ商品、ラグジュアリーは本質的な価値を持つ商品
・プレミアムは「物」に近い商品、ラグジュアリーは「芸術」に近い商品
・プレミアムは「物体」に近い商品、ラグジュアリーは「概念」に近い商品
これをもうちょっと具体的に言い換えると、以下のようにも言えます。
・プレミアムは「道具(日用品)」から上がったもの、ラグジュアリーは「芸術(嗜好品の最上位)」から下がったもの
(だからこそ、プレミアムはコモディティ化が激しいからやばいよねーっていう話になるわけです。
どんなに画期的な機能を搭載した商品であっても、時間が経つとそれが陳腐化していくのは避けられません。
この話にご興味ある方は以下の記事もどうぞ。
こちらもよろしくお願い致します)
で、そのラグジュアリーと芸術についてですが、これを評価できる人材とはどういう人なのかと言いますと、以下。
1,感性が鋭い(情報を心で感じることができる)
2,理論を知る(情報を頭で理解することができる)
以上です。
で、前者は持って生まれた才能で左右されるところが大きいもので、後で育てる場合でも若い時の方が伸びやすいところでもあります。
正直、私自身はこの感覚が著しく鈍いことを知っていますので、あまり偉そうなことを言えませんが(理由はこちら←暗い過去です)。
しかし逆に言えば、だからこそ「後天的に努力で何とかなる後者の方で、何とかしよう」という決心を固めることができた、とも言えます。
というわけで、前者についての記事はありませんけど、後者については以下のような記事を書いたことがありました。
というか、この記事で頂いたこすもす様のコメントの方をおすすめしたいですね。
ここでも画像で添付しておきます。
(余談ですが、こうやって画像にして記事に貼っておくとサムネイルになりますので、後で記事が探しやすくなります)
で、ですね。
ここまで書いて思ったのは「感性の方はダメだからもうええわー」って、ばっさり切り捨てて今までやってきたわけですけれども。
やっぱ、それじゃーダメだよなぁーという気持ちになってきました。
できる限りのことをやっておきたいし、やらなかったら「もしかしたらやっておけば違った結果になったかも?」という後悔に襲われるかもしれません。
やってみたもののやっぱりダメだった、という場合は「時間をムダにしちゃったかも?」という後悔をすることにはなるかもしれませんが。
しかしその場合でも、やってもムダだという結果を得られたことは確かなので「もしかしたら」で苦しむことは避けられます。
そしてどんな些細なことであっても何か得られるものはあるはずであり、それを何とか「使う」ようにする方が良いと思いますし、それで思わぬ良い結果が生まれることだってあるはずです。
やっぱ「やらない後悔よりやる後悔」を選択した方が良いのでしょう、多分。