前回の記事『クリスペをこれまでの自説「VS.」→「経済圏」で考えてみた』を書いていて思ったことです。
さすがにこの記事をカテゴリ「ゲーム」かつ、タグ「クリスペ」にするには無理があるなーと思ったのでやめましたが、別カテゴリで書き残しておきます。
皆さんはできますか?
「罪を憎んで、人を憎まず」
私はできません。
何ができないのかと言えば、後者の「人を憎まず」ができません。
そこで「何故できないんだー」で悩んだことも、昔はありました。
こういう感じのことで、悩んでいる方がおられましたら朗報です。
内村鑑三のエピソードを一つ、紹介したいなと。
(ひょっとしたら新渡戸稲造かも……って、いきなり怪しいやん。
それとソースを確認しましたが出てきませんでしたのでソースは私になります。
私が若い頃に読んだ本に書いてありましたが、タイトルや著者は失念しました)
~ここから~
内村鑑三の学生時代の友人に商人の息子がいた。
彼は自分の冷たい性格が嫌で、神学部に入った。
しかしその冷たい性格は修正されず、周囲の学生とも上手くいかない。
悩みに悩んでいる彼に対して、鑑三は彼に以下のような助言をした。
「君は確かに冷たい性格だが、同時に怜悧な頭を持っている。
神学者になるには残念ながら、冷たい性格の者は不向きだ。
しかし非常に頭が良いので、商人には向いているだろう。
その頭の良さを使って、人のためになることをした方が良い」
この助言を受けて神学を諦め商人になった彼は、大成功した。
その理由は「商人なのに情に厚い良い人だ」というものだった。
~ここまで~
というわけで、話を戻します。
「罪を憎んで、人を憎まず」
私はできませんが、そんな自分を認めています。
このことを指摘されると、素直に「ごめんなさい」と言います。
しかし同時に「その代わりに、他のことで貢献するように努めます」と言います。
というわけで、私は代わりに以下のように言います。
「私は罪を犯した人を憎みます。
しかしその人を憎む前に、まずはシステムを疑います」
このシステムとは、社会的で公的なシステムもあれば特定の企業のシステムの場合もあり、かなり幅広いものを指します。
というわけで前回の記事『クリスペをこれまでの自説「VS.」→「経済圏」で考えてみた』について。
従来の「VS.」で敗れた側が過剰に悩むことは、ないのではないかなと。
それともう一つ。
従来の「VS.」の勝者を憎んでいる場合でも、もはやないのではないかなと。
(この「VS.の勝者を憎む」というのは、個人レベルだけの話ではありません。
知識人や学者さんなどの、それなりの立場におられる方についてです。
というよりもむしろ、その辺りの方に対して、より強く言いたいのです。
「VS.の勝者を憎み、再分配を迫るだけの時代は終わっている」
経済圏の時代になったら、従来の勝者を「攻撃する」ための知識から、弱者のために「使う」知識に変えなければならないのではないかと。
個人的にはそう思います)
話を戻します。
ゲーム業界もそうですが、娯楽や趣味の世界は「お客さんがあまりにも熱心になり過ぎると、そのお客さんのためにはならなくなる」ものであり、それらの業界は「熱心に仕事をして良い作品を出すと、かえって世の中のためにならなくなるところもある」という矛盾を抱えていました。
従来は趣味の世界に没頭し、身を持ち崩すことは「自己責任であり、その客が悪い」とされていたわけですけれども(犯罪じゃないのに)。
これをシステムの問題として「VS.」→「経済圏」に変える流れが出てきているわけです。
というわけで、できないことは素直に認めて、その代わりにできることをやった方が、世のため人のため自分のためになる、というのが結論でした。