『ゲームやアニメ、漫画でこれからの生き方を学ぶ』のあとがきを無料公開していますが。
ここで書いたかったことは、以下です。
以上です。
テクノロジーが発達すると、いつかは労働の必要がなくなります。
日本以外の他国は概ね、労働の束縛がなくなったらそれで終わりなんですよね。
もちろん中には、日本人のように「仕事、命」な人も中にはおられるでしょうけど。
ところが日本人の場合は、自らが科した「労働者の価値観」というものが別にあってですね、そちらの方の束縛からも解放される必要があるわけですけれども。
それが、なかなか難しいんですよ。
実はこんな偉そうなことを書いていますが、私自身も未だにこの「労働者の価値観の束縛」によって、苦しめられています。
それが何かと言えば、いちいち自分の時給に換算してしまって、使うべきお金を使えないところなんですね。
「これは自分への投資だ、使わなきゃ!」
と、思ってもですね。
「この商品を買うために、私は嫌な電話応対を○時間、やらなきゃならない」
と思ったら、使えないんですよお金が。
(私の一番長いキャリアはテレオペでした)
ただし、私はまだましな方で、私の夫は「仕事は辛いが、仕事を辞めたらどうしたら良いのかわからない」という漠然とした不安が理由で、仕事を辞めることができないという状況です。
節約しまくったらもう、生きていけるであろう資産があるにもかかわらずです。
(節約しまくったら、ですよ? そこまで余裕があるわけではないです)
それともう一つ、人生の目的は「働くこと」になりがち、という束縛もあります。
人生の目的とは「幸せに生きること」であり、労働は有効ではあるものの手段の一つに過ぎないのですが、油断するとそのことを忘れてしまいがちです。
以上三点、これこそがまさに「労働者の価値観の束縛」です。
日本人の価値観から由来する教育によって、束縛されているものです。
このことに気付いた私でも、未だその束縛から完全に開放されてはいないのです。
頭ではわかっていても、どうしてもどうしてもどうしても、無理です。
労働者の束縛から解放されて自由になることができない、これが日本人にのみ科せられた……いや、日本人が自ら科した「非自由民の束縛」なのです。
……なんですけども、実は恐ろしいことに、それだけではありません。
お金の束縛もええ加減キツイんですよこれが。
労働者の束縛か、お金の束縛か、あるいは場合によっては両方の束縛のある人もたくさんおられるわけで……このいずれかの束縛のない人って、日本人でどんだけおんねん、て話です。
これは相当にやばいと言わざるを得ません。