今回の記事は、以下の記事を書いていて思い出したことです。
何故に思い出したのかと言いますと「使う」繋がりでした。
では、本題。
駱賓王「易水送別」は、私が高校の時に漢文で習いました。
ざっと説明しますと、駱賓王は「武則天を討とうと挙兵した徐敬業に味方し、檄文を起草した人物」であり、その駱賓王の代表作が「易水送別」です。
武則天とは唐を簒奪した皇后で、中国の歴史上唯一の「女性でありながら自ら皇帝になった人物」でした。
(日本では「則天武后」の名前の方が有名で、私も「則天武后」で習いました)
この檄文を武則天が手に入れて読ませた時「このような才ある者を流落不遇にしたのは宰相の過ちである」と言ったそうです。
自分を殺そうとする檄文ですが、内容と書いた者の才能は別だという話ですね。
その駱賓王の代表作が「易水送別」で、これは易水で徐敬業を見送る時に作られたものです。
書き下し文と意味については以下の「公益社団法人 関西吟詩文化協会」様の記事をご参照ください。
易水の地とは燕の皇太子の丹が荊軻を見送ったところですが、そこで駱賓王は徐敬業を見送っているのです。
この後……なのか、その前だったかも……ですが、そこで荊軻の「風蕭蕭兮易水寒」を習いました。
で、今回の「使う」ということについてですが。
ウィキペディアの「武則天」によりますと、以下の一文がありました。
彼女の人材登用能力が後の歴史家も認めざるをえないほどに飛びぬけていたことは事実であり、彼女の登用した数々の人材が玄宗時代の開元の治を導いたことも特筆に値する。
つまり「人を使うのは上手かった」てことなんですよね。
今回の「自分を殺すための檄文なのに、書いた人物の優秀さを認めている」というのはその片鱗ではないかと思うのです。
授業では概ね「武則天にその才を認めさせた駱賓王は素晴らしい」という方向でしたが、この時の先生も「その才能を認めることができるのもまた、素晴らしいことだ」と仰っていたのを覚えています。
ただまぁ、武則天については国の簒奪以外にも残虐な行為などがありますし、悪いイメージになるのはしゃーない的なところがありますね。
悪いイメージになるのはしゃーないけど、功績は功績なんですよね。
というわけで、今回は「使う」繋がりで記事を書きましたが。
この二つの記事で、学べることがもう一つ。
それは「言うは易く行うは難し」ですね。
母はかつてミケランジェロを評して「あまり良い性格だったとは言えないが、それと作品は別の話だ」みたいなことを言うてました。
でも、上記リンク先の記事では「性格が悪いから」という理由で、ある学者さんを全否定していたわけですよ。
だからうちのお母さんはアホやねん……と言いたいわけではなく、自らの実生活になると話は別……となってしまって、こういうことは起こりやすくなってまうと。
で、最後の最後でもう一つ。
古文や漢文はムダじゃない、今でも「使う」ことができますやんか。
というわけで、この話にご興味ある方は、この記事もよろしくm(_ _)m